望はじめに】
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自分は編集業界で「派遣社員」を20年以上続けてきた。
途中、フリーの案件を受けたり、起業したり、大学に行ったり、起業した会社が潰れたりしていたので、“足かけ”ではあるが、かなり長い期間を派遣社員として過ごしてきた。

そして、ついに絶望した──。

望1:インフレ真綿で首絞められる】
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自分が派遣社員になったのは2000年ごろで、その頃の仕事内容は先日の記事にあらかた書いたので割愛するが、当時の日本はバブル崩壊後の不景気のどん底にあり、デフレで物価がとても安かった。
東京のフリーターの時給が850円のところ、自分は1,600円あったので、望んでいた年収には届かなかったが、モノが安くいっぱい買えて、それなりに満足していた。

それに、派遣社員は正社員ほど馬車馬のように働かされなかったので、趣味など他のことをする余裕もあり、むしろ恵まれているとすら思っていた。
実際、この期間に趣味の活動をいっぱいやれて、さらには会社も興して派手に活動できたのである。(※潰れたが)

そもそも派遣社員の身分は、趣味人や夢追い人が最低限の食い扶持を得るための“処世術”として利用できる側面があった。
ただ反面、夢を追えば追うほど、正社員への道は閉ざされ、派遣社員でしか生きられなくなるのだが……。

そして、年を経るごとにその派遣社員のメリットは、どんどん剥がれていった。

日本は2010年代より“アベノミクス”などリフレ政策により、デフレ脱却路線に舵を切ることとなった。
それにより物価はどんどん上昇、正社員の給与もそこそこ上がり、かつボーナスまでもらえる中、派遣社員は昇給などいっさいなく、時給は50円すら上がらず、逆に下がった案件すらあったほどだ。

インフレ化は、派遣社員の首を真綿でギリギリ締め上げるものであり、これだけでは生活がままならなくなり、やむなく土曜にスーパーのレジや、介護資格を利用して病院の看護助手などパートの仕事を入れるようになったのである。

望2:派遣切り! 失業は“2ケタ”に】
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日本の景気は上向きになったのに、編集・出版業界は斜陽なのか、ただでさえ時給が上がらない派遣の仕事の数が目に見えて減ってきて、契約終了後に次の派遣先が決まらないケースが増えてきた。

自分の派遣解約は「有期雇用契約」といい、どこか派遣先に派遣されている期間のみが派遣社員の身分が保証されるもので、世の派遣社員の大部分がこの契約である。
契約期間は数ヶ月から1年くらいで、それがほぼ毎回更新されていくのだが、自分は1年契約更新の案件には恵まれず、3ヶ月〜半年くらいのスポット案件をつないでいくことが多かったので、スポットの切れ目で次の案件がボツになるという憂き目に遭いまくった。

さて、次の案件が決まらないまま2週間経つとどうなるかだが、それは“離職票”が送られてくるのである。
つまり、雇用契約終了……わかりやすく言うと「クビ」だ。

このシステムのせいで、自分の失業回数はわずか10年で記録的な“2ケタ”を超えることに。
決して悪い事をしたわけでない、トラブルだって1度もない。
全て、“円満解雇”なのである。

ただ、絶望の中にもささやかな希望もあった。
それは上の息子が産まれる直前にクビになって暇になったため、期限を決めずに妻の実家へ出向いてお産に立ち会い、産まれたての可愛い赤ちゃん息子を抱っこできた事である。

望3:就職氷河期@100社落ち】
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とはいえ、こんなにカジュアルにクビになり続けていては、たまったものでない。
そこで転職サイトに登録し、正社員の編集職を探すことにした。

担当者に事細かく経歴を聞かれたので、大手旅行会社で何年、最大手印刷会社で何年、広告代理店で何ヶ月……全て派遣社員としての経歴を答えたし、起業してビジネスを行なっていたことも添えた。
担当者はそれをどう思ったかはわからなかったが、とにかく「数を応募してください」とのことだった。

自分も40代での正社員を目指すことの難しさをわかっていたので、謙虚に零細出版社、弱小編集会社をひたすら応募し続けた……100社くらいだ。
そして、その100社すべてに、落ちた。

100社といっても、それら全部に出向いて面接を受けて落ちたというわけではなく、99社は書類落ちなので、面接にすらたどり着けないで終わっているのである……時短でお手軽である。
なお、100社落ちだからといって、101社目に受かるとは毛頭言うつもりはない。

おそらくあのまま愚鈍に続けていたら、10,000社落ちになって自己破産していただろう。

望4:面接、それすなわち“慰問”】
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では逆に、99社が書類落ちなら、残り1社は面接まで進めたのかといえば、進めた。
全くの奇跡であり、マニアックな技術を紹介する雑誌の出版社である。

そのマニアックな技術を予習してから都内の出版社に面接に行くと、退職間近で現場から距離を置いて暇そうな管理職が面接官として出てきた。
面接官とは和やか話が進み、とにかく自分の派手な経歴ばかりウケるのだ。
雑誌のコラムを書いたり取り上げられたりしたこと、テレビ出演時の話などをすると、“ああ、あの頃はそんな感じだったね”と懐かしんでくれるわけである。

そして、面接結果は「不採用」。
当然である、他の面接までたどり着いた応募者数十人は皆、“正社員としての前職”がある者ばかりだ。
“派遣”の経歴しかないようなのを採用して、もし使えない奴だったら、人事が詰め腹を切らされる。

だから和やかに話を楽しんでも、決して採用などしないというのが最初から決まっているのである。
そんなところに面接に行くのは、面接官を“慰問”しに行くのと変わらない。

望5:長い付き合いの派遣会社、裏切る】
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転職サイトでの就職活動は、ほんの半年で終了、再び定位置の派遣社員に戻った。
Webメディアを取り扱う企業での校正仕事、かつ1年更新の案件で、派遣社員の中では“安定的”な仕事だ。

Web記事の仕事はそこそこ面白く、派遣先の社員も優しく接してくれたから今までの中で最高の派遣先だと思って、色々工夫して一生懸命働いていた。
その甲斐あって、派遣先の上司から時給を200円上げるから……と伝えられた。

これは破格の待遇である。
昇給のない派遣社員のモチベを上げるため、派遣先か派遣元(派遣会社)が時給を上げてくれることがあるが、せいぜい20円〜100円程度である。

本当に、この会社で正社員になれたらいいのにと思うのだが、残念ながらそこには壁があり、「無期雇用派遣」なら可能な状況だった。
無期雇用派遣は派遣会社の“正社員的な立ち位置”の身分で、派遣先が決まらないときでも給与が出るが、社内をうろつく無期雇用派遣に話を聞いたら、有期の派遣の頃より年収が下がったとか散々だったので、こんなの“飼い殺し”ではないかと思った。

いずれにせよ、昇時給を楽しみに働いていたら、後日「時給は100円しか上がらない」と派遣会社から伝えられた。
おかしいではないか、最低でも150円は上がるはずだ。

派遣先が支払う時給に派遣会社のマージン(中抜き)が入るのは基本的なシステムだが、この業界では約25%が相場だ。
50%もマージンを取るのは異常であり、何より“裏切り”に他ならない。
なぜこのマージンなのかと派遣会社に問いただしたら、「販管費が嵩んでいて」などくだらない言い訳に終始して、話にならなかった。

10数年付き合ってきた派遣会社であり、もちろんショックは大きかった。
この時、本当に派遣人生というものに「絶望」した。

自分が派遣社員になった時、それなりの覚悟があった。
レールに乗って馬車馬のように働く正社員にならずに、趣味などやりたいことを充実させる、起業など夢を追わせてもらうからには、それが失敗した際は生涯を派遣沼で過ごし、贖罪し続けるという“見えない社会のルール”を受け入れるというものだ。

しかし、ここまで裏切られ、コケにされるのかと思うと、もう絶望しかなかった、限界だった。
自分は、派遣先の上司に事の経緯をマージン含めてありのまま全て伝え、これ以上の契約延長はできなくなった旨を伝えた。

望おわりに】
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結局、自分は派遣社員を辞めることになった。
「もう派遣先を探さない」と決めたら、派遣契約が終了して2週間で簡単に退職できるので、辞めるのは簡単だが。

ただ今回は、自分は二度と派遣社員をやらないと決めて辞めてしまったので、派遣先を見つけられずにクビになったこれまでとは状況が全く異なる。

辞めた後、目の前に広がるのは、“貧乏人砂漠”だった。

<To be continued...>