【昔の校正仲間と会う】

年末年始は飲み会シーズン、サラリーマンの忘新年会の件数も回復してきて、いよいよコロナ禍から立ち直りつつあるそうだ。
そんな中、昔の校正仕事の同僚と8年ぶりに会うことになり、新宿まで出てきた。
腕の良いベテラン校正者だが、会って話を聞くと、今も校正をしているものの、最近になって、めっきり仕事が減ってしまったと言う。
【西口方面へ】

元同僚はフリーランスだが、週5であった仕事は週2くらいまでに減り、当人だけでなく、周囲も同じような状況に陥っているという。
週2だとマトモな月収にもならないため、もはや年末年始の飲み会すらなくなったという。
自分は思うところがあり、元同僚と新宿西口にある地下の居酒屋「夕やけ」へ行くことにした。
【自分の校正史(1)】

とりあえず、ビールで乾杯!
さて、今の校正業界の現状を話すその前に、「自分の校正仕事の履歴」について話しておこう。
自分は、現在は介護士仕事と投資ビジネスがメインとなっているが、少し前まで、足かけ20年以上、校正・校閲をやってきた。
最初の校正仕事は、大蔵省(当時)の「官報」で、派遣社員として行なって、もう四半世紀前、当時22歳くらいのことである。
SNSはおろか、スマホもないような時代だったがインターネットが普及し始めたころであり、紙媒体で溜まっていた官報をデータベース化しようという話になり、仕事はそれをOCRで読み込んだ“ゲラ”を校正するというものだ。
だが、OCRは一瞬で文章を読み込んでデータ化できる一方で、“文字化け”だらけとなり、「学校教育法」が「学校藪育法」になるなど、変換ミスでは起こり得ない誤植の雨あられに、初心者の自分はひたすら苦しんだのを覚えている。
【自分の校正史(2)】

その次の仕事も派遣社員として行ない、編集プロダクションで電子部材カタログを校正するものだった。
DTPがクォークで組版したゲラを校正するのだが、ここでは派遣社員ながらも“超ベテラン校正者”と仕事をすることとなる。
もう70歳くらいのおばさんだったが、フリーランス時代には書籍1冊を手がけるなどして、ピークでは年収600万を超えていたという。
校正者で「丸一冊の書籍を単独校正する」というのは花形であり、ひたすら憧れた。
だが、このベテラン校正者、一緒に仕事を始めると、自分のあまりの出来の悪さに激怒し、事あるごとに派遣先の社員に自分の悪口を言うようになり、それが相談役の逆鱗に触れて契約解除となってしまった。
相談役は、仕事が全くできないながらも孫ほどに歳が離れた自分が“話し相手”となってくれるのを、いたく気に入っていたというのが大きい。
いずれにせよ、このおばさんが、自分が見た「最後の真のフリーランス校正者」であり、自分もおばさんの遺志を継ぎ、早く派遣社員を卒業してフリーランスになって稼ぎたい! と思ったものである。
【自分の校正史(3)】

しかし、それは裏切られた。
その後も派遣社員としての校正仕事が続いた。
また、憧れたフリーランスの募集もあったので応募して採用されたが、フリーランス紹介会社から仕事先を案内され、報酬は会社を介して時間単位で支払われる形式で、先のおばさんのような高収入とは程遠い額であり、これは派遣とどう違うんだ? と幻滅した。
仕事内容も、大抵どれも同じだった。
自分も数年で技術が向上してベテランとなったし、“交差法”という校正者でもなかなか持っていない社内資格も取ったが、それでも仕事は変わらなかった。
どこかの編集プロダクションに行ってカタログやパンフレット、ムックや実用書のごく一部のページの校正というものばかり、しかもどれも3~6ヶ月のスポット案件でこの時期はA社で年イチのカタログ、次はB社で年イチの雑誌、その次はC社でCSR報告書の校正という繰り返しで、綱渡り状態であり、またその綱は実に脆くてよく切れた。
綱が切れるとどうなるかだが、2週間以上の空きが発生すると、派遣会社から「離職票」が送られてくるのである。
分かりやすく言うと、“クビ”である。
残念ながら、派遣やフリーランスで校正をやっていると、この手の失業とは隣り合わせである。
ちなみに言うと、自分はこれで10回以上、失業している。
失業で“2ケタ”なんてなかなかないと思うし、普通、あっても1~2回程度だろう。
あまりに失業するものだから、途中の回から開き直ってきて、失業を機に実家に帰省したり、大学を再受験したり、念願の起業もした。
事業失敗後、再び校正の仕事に戻るも失業を繰り返し、上の息子が産まれる直前にも失業して、こればかりはグッドタイミングと喜んで、妻に付き添ったり、お産に立ち会ったりしていた。
したがって、冒頭で校正の仕事20年に“足かけ”と但し書きしているのは、この失業が所以なのである。
仕事が安定した職種だったら、こうはならなかっただろう。
【校正業界が厳しい理由】

店内では20代の女の子たちがサワー片手にキャッキャと談笑している、未来があるからだろう。
さて、話を元同僚に戻そう。
フリーランスとして働いているが、週5から週2に仕事が減ったということで、半分失業しているようなもので、その苦境は察するにあまりある。
そういえば、別の派遣校正者の友達からLINEが来たが、短期の派遣仕事が終わり、次の仕事が決まらなかったことで、今は失業保険でやっているとのこと。
自分も綱渡りだったが、現在ではそれがさらに厳しい状況に陥っている現状を突きつけられた。
こうなった理由は、簡単だ。
「紙媒体」がどんどん廃止されているからだ。
何十年と続いてきた月刊誌の休刊・廃刊が相次ぎ、最近だと「夕刊フジ」が今月末に紙版はおろか、電子版までもが休刊ときた。
紙媒体がなくなると、社員は配置転換されるが、出入りの派遣はそのまま契約終了(クビ)、他の派遣先を探し回ることになり、少なくなったパイを必死で奪い合うわけだ。
コロナ後の巷の人手不足の中、派遣校正もフリー校正も余っていて、時給は上がることなく20年以上、同じ額である。
ただ、仕事だけ減らされた形だ。
【“べらぼう”に終わっている紙媒体】

元同僚はビールからチューハイに変えたようだ。
遠慮なんてしなくていいのに。
自分が派遣校正をやっていた頃から、紙媒体はジリ貧となると言われていたので、高収入フリーランスはおろか、正社員すら困難だった。
そもそも校正単体の仕事で正社員募集がほとんどないし、仮にあったとしても、年収は驚くほど低く、ボーナスすらないケースもあるという……派遣と変わらない。
ただでさえジリ貧な紙媒体は、元同僚によると、さらに絶望的な道を辿っているという。
大手印刷会社は「紙の部署を大幅に削減」し、広告出版最大手は近いうちに「紙媒体を完全にやめる」のだとのこと。
自分が校正をしていた頃ですらなかった“ドラスティックな”改革が今行われていて、それはただでさえ苦境に立たされている校正者をさらなる窮地に追いやっている。
紙媒体の歴史は長かったが、いよいよ終わりが来たのだろうか──。
7世紀にわが国に紙が伝わってからというもの、紙媒体は朝廷の歴史書や和歌集として文化を支えてきた。
江戸時代には、蔦屋重三郎が黄表紙や洒落本を出版してムーヴメントを起こし、幕末には“読み売り”が市中を駆け回って紙メディアが興隆した。
昭和になっても紙媒体は隆盛を極め、スポーツ紙や週刊誌が飛ぶように売れ、人口に膾炙した。
しかし、平成期にインターネットが発生し、読むメディアが紙でなくてもよくなった時、紙媒体はもう後戻りができない岐路を下り始めたと思う。
あとはこれまで話してきた通りの有り様で、紙メディアは廃業の嵐で腕の良い校正者がどんどん職を失い、Webメディア隆盛となって、Yahoo! ニュースが誤植だらけだろうが見出しが重複していようが、てんでお構いなしときた!
その壊滅っぷりは“べらぼう”なのである。
【帰ることに】

ビールやらチューハイやら、5時間かけて派手に飲んで、お開きとした。
元同僚とは厳しい校正環境の話もしたが、懐かしい話もできたので、充実した。
いつまで校正ができるか分からないという話だったが、できる範囲で“転職”を検討した方がいいとだけ伝えた。
元同僚と別れ、すっかり夜も更けた新宿南口は、ただただ寒かった。
【いつかまた飲めるようになれば】

さて、そんな状況で居酒屋で派手に飲み食いして大丈夫かという話だが……。
当然ながら自分も“割り勘”なんてするつもりも最初からなく、ほぼ全額をテンアライド(8207)の株主優待券で賄った。
スマホのSNSには、毎日のように20代の知人や友達が居酒屋や高級レストランで楽しむ姿が飛び込んでくる。
かたや、価値ある技能を持った働き盛りの壮年校正者が飲み会にすら行けない。
分かっていても、何でこんな目に……と思う。
自分は校正業界に戻ることはもうないが、皆に幸あれと願いたい。

あるがままの世界 -完全版-
(自分の単独校閲本)
NHK大河ドラマ『べらぼう』、きょう初回放送 主人公・蔦屋重三郎は江戸時代の出版王 “色街・吉原の世界”を宣伝しヒット連発
[補足や要約]生粋の吉原っ子の蔦屋は、当時さびれていた吉原を盛り上げようと吉原のガイドブック的な読み物を編集し、また性風俗小説である洒落本や浮世絵などを手掛け、吉原を江戸の一大観光名所に仕立て上げていく。
コンタクトレンズの人は「アカントアメーバ角膜炎」に要注意! 正しく使わないと失明も
[補足や要約]アカントアメーバは、川・池・水道水などに生息、ソフトコンタクトを水道水で洗うとアメーバが付着し、傷ついた角膜の上に装着して感染。
角膜が白く濁る混濁や、視力障害が残りやすく、重篤化するとほとんど見えなくなり、角膜移植が必要になるケースも。
治療は、角膜の表面を削ってアメーバを除去したうえで、消毒薬を点眼する治療を繰り返し、数ヶ月かかることもある。
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夫婦喧嘩の最中に妻が刃渡り13cm包丁を持って近隣宅に逃げる→銃刀法違反の疑いで妻を現行犯逮捕 妻の顔には殴られたような痕 福岡・春日市
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2024年の振り返り&いつも読んでくださる読者の皆様へ
[一言]介護職をしながら1株単位でコツコツ投資してきた管理人さんのブログ。
介護職その年収に見合わないくらいの資産を築いたのは、自分も介護士なので見ていて励みになる。
信用取引か何かで一発当ててSNSでオラついているような人より、こういう地道な努力で資産を積み上げていく人の方が好きだし、何より投資の参考になる。
毎朝の「コーヒー代」→「スタバの株に投資」に変えたら、衝撃価格の利益に
[一言]いわゆる“ラテマネー”というやつだね。
自分はQOLの観点から毎朝のコーヒーは絶対にやめられないので、良い豆を安価で大容量を購入して、自分で挽いて淹れて飲んでいる。
とても安く、1日で稼ぐポイ活ポイントより、遥かに安い。
ちなみに、そのポイ活ポイントは、ほとんどを「株」に変えていて、3~4年で50万円くらいになった。
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[注意喚起]この鳴き声を聞いたら、それ熊ですよ!
年が明けたので景気づけに肉フェス「ハム太郎とっとこうた」でも見ようかな。
[一言]本当にノリノリでビックリ。

年末年始は飲み会シーズン、サラリーマンの忘新年会の件数も回復してきて、いよいよコロナ禍から立ち直りつつあるそうだ。
そんな中、昔の校正仕事の同僚と8年ぶりに会うことになり、新宿まで出てきた。
腕の良いベテラン校正者だが、会って話を聞くと、今も校正をしているものの、最近になって、めっきり仕事が減ってしまったと言う。
【西口方面へ】

元同僚はフリーランスだが、週5であった仕事は週2くらいまでに減り、当人だけでなく、周囲も同じような状況に陥っているという。
週2だとマトモな月収にもならないため、もはや年末年始の飲み会すらなくなったという。
自分は思うところがあり、元同僚と新宿西口にある地下の居酒屋「夕やけ」へ行くことにした。
【自分の校正史(1)】

とりあえず、ビールで乾杯!
さて、今の校正業界の現状を話すその前に、「自分の校正仕事の履歴」について話しておこう。
自分は、現在は介護士仕事と投資ビジネスがメインとなっているが、少し前まで、足かけ20年以上、校正・校閲をやってきた。
最初の校正仕事は、大蔵省(当時)の「官報」で、派遣社員として行なって、もう四半世紀前、当時22歳くらいのことである。
SNSはおろか、スマホもないような時代だったがインターネットが普及し始めたころであり、紙媒体で溜まっていた官報をデータベース化しようという話になり、仕事はそれをOCRで読み込んだ“ゲラ”を校正するというものだ。
だが、OCRは一瞬で文章を読み込んでデータ化できる一方で、“文字化け”だらけとなり、「学校教育法」が「学校藪育法」になるなど、変換ミスでは起こり得ない誤植の雨あられに、初心者の自分はひたすら苦しんだのを覚えている。
【自分の校正史(2)】

その次の仕事も派遣社員として行ない、編集プロダクションで電子部材カタログを校正するものだった。
DTPがクォークで組版したゲラを校正するのだが、ここでは派遣社員ながらも“超ベテラン校正者”と仕事をすることとなる。
もう70歳くらいのおばさんだったが、フリーランス時代には書籍1冊を手がけるなどして、ピークでは年収600万を超えていたという。
校正者で「丸一冊の書籍を単独校正する」というのは花形であり、ひたすら憧れた。
だが、このベテラン校正者、一緒に仕事を始めると、自分のあまりの出来の悪さに激怒し、事あるごとに派遣先の社員に自分の悪口を言うようになり、それが相談役の逆鱗に触れて契約解除となってしまった。
相談役は、仕事が全くできないながらも孫ほどに歳が離れた自分が“話し相手”となってくれるのを、いたく気に入っていたというのが大きい。
いずれにせよ、このおばさんが、自分が見た「最後の真のフリーランス校正者」であり、自分もおばさんの遺志を継ぎ、早く派遣社員を卒業してフリーランスになって稼ぎたい! と思ったものである。
【自分の校正史(3)】

しかし、それは裏切られた。
その後も派遣社員としての校正仕事が続いた。
また、憧れたフリーランスの募集もあったので応募して採用されたが、フリーランス紹介会社から仕事先を案内され、報酬は会社を介して時間単位で支払われる形式で、先のおばさんのような高収入とは程遠い額であり、これは派遣とどう違うんだ? と幻滅した。
仕事内容も、大抵どれも同じだった。
自分も数年で技術が向上してベテランとなったし、“交差法”という校正者でもなかなか持っていない社内資格も取ったが、それでも仕事は変わらなかった。
どこかの編集プロダクションに行ってカタログやパンフレット、ムックや実用書のごく一部のページの校正というものばかり、しかもどれも3~6ヶ月のスポット案件でこの時期はA社で年イチのカタログ、次はB社で年イチの雑誌、その次はC社でCSR報告書の校正という繰り返しで、綱渡り状態であり、またその綱は実に脆くてよく切れた。
綱が切れるとどうなるかだが、2週間以上の空きが発生すると、派遣会社から「離職票」が送られてくるのである。
分かりやすく言うと、“クビ”である。
残念ながら、派遣やフリーランスで校正をやっていると、この手の失業とは隣り合わせである。
ちなみに言うと、自分はこれで10回以上、失業している。
失業で“2ケタ”なんてなかなかないと思うし、普通、あっても1~2回程度だろう。
あまりに失業するものだから、途中の回から開き直ってきて、失業を機に実家に帰省したり、大学を再受験したり、念願の起業もした。
事業失敗後、再び校正の仕事に戻るも失業を繰り返し、上の息子が産まれる直前にも失業して、こればかりはグッドタイミングと喜んで、妻に付き添ったり、お産に立ち会ったりしていた。
したがって、冒頭で校正の仕事20年に“足かけ”と但し書きしているのは、この失業が所以なのである。
仕事が安定した職種だったら、こうはならなかっただろう。
【校正業界が厳しい理由】

店内では20代の女の子たちがサワー片手にキャッキャと談笑している、未来があるからだろう。
さて、話を元同僚に戻そう。
フリーランスとして働いているが、週5から週2に仕事が減ったということで、半分失業しているようなもので、その苦境は察するにあまりある。
そういえば、別の派遣校正者の友達からLINEが来たが、短期の派遣仕事が終わり、次の仕事が決まらなかったことで、今は失業保険でやっているとのこと。
自分も綱渡りだったが、現在ではそれがさらに厳しい状況に陥っている現状を突きつけられた。
こうなった理由は、簡単だ。
「紙媒体」がどんどん廃止されているからだ。
何十年と続いてきた月刊誌の休刊・廃刊が相次ぎ、最近だと「夕刊フジ」が今月末に紙版はおろか、電子版までもが休刊ときた。
紙媒体がなくなると、社員は配置転換されるが、出入りの派遣はそのまま契約終了(クビ)、他の派遣先を探し回ることになり、少なくなったパイを必死で奪い合うわけだ。
コロナ後の巷の人手不足の中、派遣校正もフリー校正も余っていて、時給は上がることなく20年以上、同じ額である。
ただ、仕事だけ減らされた形だ。
【“べらぼう”に終わっている紙媒体】

元同僚はビールからチューハイに変えたようだ。
遠慮なんてしなくていいのに。
自分が派遣校正をやっていた頃から、紙媒体はジリ貧となると言われていたので、高収入フリーランスはおろか、正社員すら困難だった。
そもそも校正単体の仕事で正社員募集がほとんどないし、仮にあったとしても、年収は驚くほど低く、ボーナスすらないケースもあるという……派遣と変わらない。
ただでさえジリ貧な紙媒体は、元同僚によると、さらに絶望的な道を辿っているという。
大手印刷会社は「紙の部署を大幅に削減」し、広告出版最大手は近いうちに「紙媒体を完全にやめる」のだとのこと。
自分が校正をしていた頃ですらなかった“ドラスティックな”改革が今行われていて、それはただでさえ苦境に立たされている校正者をさらなる窮地に追いやっている。
紙媒体の歴史は長かったが、いよいよ終わりが来たのだろうか──。
7世紀にわが国に紙が伝わってからというもの、紙媒体は朝廷の歴史書や和歌集として文化を支えてきた。
江戸時代には、蔦屋重三郎が黄表紙や洒落本を出版してムーヴメントを起こし、幕末には“読み売り”が市中を駆け回って紙メディアが興隆した。
昭和になっても紙媒体は隆盛を極め、スポーツ紙や週刊誌が飛ぶように売れ、人口に膾炙した。
しかし、平成期にインターネットが発生し、読むメディアが紙でなくてもよくなった時、紙媒体はもう後戻りができない岐路を下り始めたと思う。
あとはこれまで話してきた通りの有り様で、紙メディアは廃業の嵐で腕の良い校正者がどんどん職を失い、Webメディア隆盛となって、Yahoo! ニュースが誤植だらけだろうが見出しが重複していようが、てんでお構いなしときた!
その壊滅っぷりは“べらぼう”なのである。
【帰ることに】

ビールやらチューハイやら、5時間かけて派手に飲んで、お開きとした。
元同僚とは厳しい校正環境の話もしたが、懐かしい話もできたので、充実した。
いつまで校正ができるか分からないという話だったが、できる範囲で“転職”を検討した方がいいとだけ伝えた。
元同僚と別れ、すっかり夜も更けた新宿南口は、ただただ寒かった。
【いつかまた飲めるようになれば】

さて、そんな状況で居酒屋で派手に飲み食いして大丈夫かという話だが……。
当然ながら自分も“割り勘”なんてするつもりも最初からなく、ほぼ全額をテンアライド(8207)の株主優待券で賄った。
スマホのSNSには、毎日のように20代の知人や友達が居酒屋や高級レストランで楽しむ姿が飛び込んでくる。
かたや、価値ある技能を持った働き盛りの壮年校正者が飲み会にすら行けない。
分かっていても、何でこんな目に……と思う。
自分は校正業界に戻ることはもうないが、皆に幸あれと願いたい。

あるがままの世界 -完全版-
(自分の単独校閲本)


角膜が白く濁る混濁や、視力障害が残りやすく、重篤化するとほとんど見えなくなり、角膜移植が必要になるケースも。
治療は、角膜の表面を削ってアメーバを除去したうえで、消毒薬を点眼する治療を繰り返し、数ヶ月かかることもある。

【日テレNEWS】

【TBSニュース】

【NHKニュース】

【NHKニュース】
[一言]これで年始の“ご祝儀相場”は完全になくなった。もとより、最近はそういうジンクスが次々と消えているが。

【TBSニュース】

【ヨミドクター】

【えごん】

介護職その年収に見合わないくらいの資産を築いたのは、自分も介護士なので見ていて励みになる。
信用取引か何かで一発当ててSNSでオラついているような人より、こういう地道な努力で資産を積み上げていく人の方が好きだし、何より投資の参考になる。

自分はQOLの観点から毎朝のコーヒーは絶対にやめられないので、良い豆を安価で大容量を購入して、自分で挽いて淹れて飲んでいる。
とても安く、1日で稼ぐポイ活ポイントより、遥かに安い。
ちなみに、そのポイ活ポイントは、ほとんどを「株」に変えていて、3~4年で50万円くらいになった。

【GIGAZINE】

【読売新聞】


【介護ポストセブン】



【ママリ】
[一言]定期的に出るよね、この断面ネタ。(←他人事)
【女性自身】

【ねと見!】
