【キラキラ! その待ち合わせ、本当に幸せですか?】

いよいよ年末!
デートやら忘年会やらが忙しいシーズンだ。
夜の街は、そんな人々を歓迎するかのようにキラキラを増し、集まったカップルや会社仲間の歓声嬌声がこだまする。
さて、デートでも忘年会でも、当たり前だが、開催場所や日時の事前の取り決め……つまり「約束」が必須である。
【それは「無責任」なのか?】

しかし、自分の友達には“変わり者”が結構多くて、とある校閲者の友達は本当に「約束をしない人間」だった。
どこかで一緒にご飯を食べる、酒を飲むのでも、「明日の何時にどこで」というのが、一切できない。
常に「今から恵比寿に来ないか?」など、あたかも目の前にいる相手に呼びかけるかのようなノリでメールをしてきて、こんなもの、約束でも何でもない。
それでもホイホイと恵比寿に行って酒を傾けてしまう自分も何なのだが、ある日、ついにたまりかねて訊いてみた。
なぜ、明日以降の「約束」をしない?
なぜ、いつも「今」なのか?
流石にこれは、ズボラで無責任だろう……と思ったからに他ならない。
【納得!】

すると友達は間髪入れず、こう答えた。
「先の約束をしないのは、それをすると約束の日までずっと縛りつけられ、自由を失うからだ」
ああ、言い得て妙だ……!
自分は思わずピシヤリ/\と膝を打った次第である。
一体、何の話だということだが、これは道家思想に触れていないと難しいかも知れない。
【作為と自由の相剋】

自分は大学の専攻は「道教」(道家思想)だった。
とりわけ老子・荘子の老荘思想を研究し、卒論は「荘子」だった。
そんな自分が先述のようなことを言われたら、嫌でも気付かざるを得ない、友達が下手したら「自分以上に道家思想を体得している」のでは……ということに。
道家思想は簡単にひと言で述べてしまえば、巷間で言われる通り「無為自然」ということである。
無為と言っても、何もしないという意味ではない。
徹底して作為的な行為を嫌い、自然に即した行動のみを取って生活する(無為の為)のを理想とする。
とはいえ、我々現代人は「作為」をしないと生きていけず、会社でスケジュールを決めて会議をする、給料で子供の将来のためになる物品を購入するなど、全て未来将来を担保する作為的行動に他ならない。
では、無為的な行動は取れないのか? 取っても意味がないのか? については、自分はハッキリ「NO」だといえる。
作為的な人生であることは認めるが、そんな中でも「無為的な行動」も織り交ぜていくことで、ある程度の「自由」が得られ、心が平安となる。
自分の場合は「特定の思想・信仰をいっさい持たない」というものである。
大学時代、道教ゼミの指導教授がよく言っていたのが、「学生の中には右でも左でも宗教でも、格好つけて傾倒する人がいるが、それは却って自由を失うことになっていて気の毒だ」という話だ。
……全く、同感だった。
ちなみに、かくいう自分は道家思想を持っているのではないか? ということについては、老子も荘子も儒家思想を槍玉に上げる一方で、自らの考えを「道家思想」とも「道教」とも名乗っておらず(※後世の人間によるカテゴライズに過ぎぬ)、特定の思想を持たないことが無為と主張していることから、自分も“思想なし”ということになる。
特定の思想・信仰は自らの心を縛り付け、結果として自由を失うので、今後も持たないようにする。
なお余談だが、本来、心は自由で縛ることができない、無理に縛ると神経症になる……と自分が校閲を担当した「森田療法」の本にも書かれていたし、もっともそんなのを見なくても、ニーチェを見れば分かる。
自分のことはこれくらいにして、例の友達は「約束をしない」という無為の為によって、心を縛ることなしに自由でいられる……というのが真相なのである。
実に素晴らしいことだ。
荘子 内篇 (岩波文庫)
【東亜日報】
【TBSニュース】
【テレ朝news】
【テレ朝news】
【GIGAZINE】
【TBSニュース】
[一言]どうしてここまで憎めるのか?何かの病気なのか?
【NHKニュース】
[一言]ちょっとした爆弾発言だね。【TBSニュース】
【えのげ】
【えごん】
【オタクニュース】
【カラパイア】
【ゲーハー黙示録】
とあるお笑い芸人のYouTubeで、リアルなサッカーゲームを実際の試合だと言って騙して見せるものがあったが、ハメられた相方は最後の最後まで、気付かなかった。
そういえば、予備校講師(古文)の吉野先生の「若い頃に自殺しようと雪山に寝に行ったところ、寒すぎて逆に寝られず、このままでは死ぬと言って戻ってきた」という話が好き。



























