【3人で1人という視点】

土曜バイト先のいろんな職種の人を見ているうちに、フト、ある寓話を思い出していた。
それは「3人のレンガ職人」という話だ。 旅人が3人のレンガ職人に順番に出会って話を聞くというものだが、職人が話した内容を簡単に説明すると……。
[1人目]親方に言われて嫌々、レンガを積んでいるのさ。
[2人目]家族を養うお金のため、レンガを積んでいるのさ。
[3人目]立派な大聖堂を作るため、レンガを積んでるんだ。
[2人目]家族を養うお金のため、レンガを積んでいるのさ。
[3人目]立派な大聖堂を作るため、レンガを積んでるんだ。
1、2人目は“仕方なく”レンガを積んでいて、3人目だけ“高い意志と誇りを持って”レンガを積んでいるという内容で、働く意味や生きる意味をテーマとした自己啓発やビジネスセミナーなどで頻繁に引用される寓話でもある。
さてこの寓話だが、寓意を解釈する上で、1人目、2人目、3人目のレンガ職人はそれぞれ別人で語られがちだが、自分の解釈は別にある。
1人目、2人目、3人目のレンガ職人は「同一人物」である、と。
寓話の話の筋的には、旅人が数時間~数日の間に3人に出会っているから、それは有り得ない設定なのだが、話の筋を差し置いて帰納された寓意を読み取るなら、「同一人物」とした方が良いという判断からだ。
【最初から3人目はいない】

バイト先でよく一緒に働く異業種の方は、キチンと仕事をこなすだけでなく、与えられた区画を如何に快適に維持するかという事まで留意している。
話すと仕事に誇りまでは持っていなかったが、高い目的意識を持っている点で、2.5人目のレンガ職人の人格だといえる。
しかし、昨日は上司から無茶振りがあったせいか、「今日は怒る人(顧客)がいないから、これくらいにしておこう」という妥協心が見られた。
これは1人目のレンガ職人の人格である。
同一人物においても、環境や状況において、どのレンガ職人の人格にもなるのであり、これが寓意においては3人のレンガ職人が1人であるという証左である。
本来、新しく仕事を始めるにあたって、最初から3人目のレンガ職人ということはないと考えている。
まずは自らが生活するために(餓死しないために)、あるいは家族を養うために仕事を始めるという点で、1人目か2人目のレンガ職人である。
そのうち、その仕事において工夫が生まれたり、向上心が刺激されたりして、仕事に「目的意識」が生まれる。
その目的意識の中で働き、その仕事に愛着や誇りが芽生えて初めて、3人目のレンガ職人となり得るのだ。
これは、「マズローの欲求階層説」に当てはめても、そうである。
人間は最初の段階では“食べるため”といった生理的欲求であり、生活が安定してきて初めて高次の段階に進み、最後には“自己実現”の欲求へと昇華されていくのである。
そういう自然な過程を端折って、最初から「3人目のレンガ職人たれ」というのは不自然に思えるし、場合によっては欺瞞にすら思える。
少なくとも、雇用者がそう言って安い賃金で働かせれば、立派な“やりがい搾取”の成立である。
自分が言いたいのは、3人のレンガ職人は“1人”であるということ。
そして、その1人のレンガ職人が1人目、2人目、3人目のレンガ職人へと成長していくには、雇用者側が賃金など働き甲斐のある労働環境を提供し続けるという義務があるということだ。

【NHKニュース】


【毎日新聞】

【テレ朝news】

【TBSニュース】

【NHKニュース】

【TBSニュース】

【えのげ】

【VIPブログ銀河】
[一言]19%。
【えごん】

【Y速報】



【アニゲー速報】


【 ゲーハー黙示録 】

自分は、長崎のことをもっと知りたい。

【オタクニュース】

この「どん兵衛」のカップは初めて見た。