2013年2月23日の日記です。

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 先日の21日に、3人の凶悪犯に死刑が執行された。
 その中に、奈良・女児誘拐殺害犯の「小林 薫」がいたのだが、“死刑判決”から“刑の執行”までの彼の心境の変化には、少し注目すべきものがあった。

 法廷でふてぶてしい態度を取り、“早く死刑判決を受けて死にたい”と判決後の控訴も自ら取り下げたものの、その後、態度が一変。

(1):死刑回避を目指し、再審を請求
(2):刑の執行は2日前に告知してくれと主張
(3):せめて殺すなら薬物にしてくれと懇願

 突然、遺族に謝罪したり、警察の捜査方法を批判したりして死刑を回避しようと悪あがきし、それがダメなら楽な死に方を模索し、事件を起こしたことを後悔し続けて死んでいった。


  ☆・☆・☆


 「今、死にたい」、「死刑になった方がマシ」…よく聞かれる文句だ。

 だがそんな感情は、所詮は“まやかし”で、殻の奥にある、本能に即した本当の気持ちは、こういう「土壇場」で出てくるのか…と思うと感慨深い。

 今回、被害者の遺族は亡くなった我が子のみならず、刑に処された加害者の命の重みにまで言及されていた。
 そして、そんな死刑囚から“命の重み”を学ぶとしたら、まさにこの「土壇場の感情」ではないか、と。

 つまり、「人間は本能的に命を大切にしている」ということだ。


  ☆・☆・☆


 以前、「なぜ、人を殺してはいけないんですか?」という中学生の質問が社会的話題となった事があるが、これが一つの答えになるかも知れない。

 もちろんそれは、“他人の命を奪うのは、回り回って自分が大切に思う命を危険に晒す事につながる”…という理屈である。

 いろんな事に行き詰まり、自暴自棄になって「死刑になってもいい、誰でもいいからいっそ」と思う前に、この死刑囚の事を思い出してみるべきだろう。


≪参照記事≫
ついに死刑が執行された小林薫が垣間見せた生への執着

  (NAVER まとめ)