※2010年5月23日の日記です。
おとといは、家にいるとあまりの暑さで発狂しそうになったので、外に出ることにした。
ちょいとばかり、大掛かりな散歩をしてみよう。
さて場所であるが、大事な用事があったのと、どうせ散歩するなら “遠くて思い入れのある場所” がいいということで、かつて自分が住んでいた川崎の家を目指す散歩コースを設定した。
自分は2003年まで川崎の新百合ヶ丘に家を借りて住んでいて、あれから7年、全く立ち寄っていなかったので、今どうなっているのか…少しドキドキする。
夕方、新百合ヶ丘に着くと、北口 (さびれた方) に降り立つ。
駅前はさほど変わっていないのだが、家の方向に歩くと再開発の結果か、驚くほど街が開けていた。
(クリックで拡大)
自分の住んでいた家は、山の上にあるのだが、再開発で山が切り開かれてしまったため、上りの道が見つからない。
以前あった上り道は、コンクリートの護岸のような塀で、押し潰され、なくなっていたのだ。
まずい、どうしよう、家にたどり着けない…そう思っていると、さらに向こう側にキレイ新設された上り階段の坂を発見。
どうやらここから上るに違いない…山登りを始めることに。
(クリックで拡大)
しかし、上り始めてからも大変だった。
自分が引っ越した直後にこの一帯は再開発され、山の木の多くは伐り倒され、焼かれ、以前あった道は消え、森だったところに宅地や新たな道が出来たため、元・住民の自分でも全く地形がわからない。
トンネルなどなかったし、変に太い道が出来ているし、山の中腹から新百合ヶ丘の駅ビルを見下ろして現在地を確認しようと試みるのだが、勘が狂って上手くいかない。
(クリックで拡大)
昔はふもとから一直線に、家のある地区まで上がれる道があったのだが、今では地形が変わり、新市街も出来たので、そちら優先の道に変えられていたため、早くも迷い始める。
夕方とはいえ、気温30℃でさらに山登りという、散歩にしてはハード過ぎる道のり。
汗が止まらない!
とりあえず新市街を早く抜けようと直進するも、緑地帯や変な柵に阻まれて、先に進めなくなってしまった。
(クリックで拡大)
となるといよいよ焦り始め、どうやったら自分の住んでいた “旧市街”(再開発で新市街が出来たので) の家に着くんだ、もしやこの柵を越えれば…と、とある空き地に入って、柵を越えようとしたが高くて失敗。
何てことだ、と引き返すために空き地の中を歩いていた時、それは起きた。
地面のくぼみをよく見ていなかった上に、さらに石に蹴つまずいて転倒、尾てい骨を強打してしまったのだ。
あまりの痛みにまるで立ち上がれない!
「畜生、畜生!」 と呪詛を吐きつつ何とか頑張るも、立つのに45秒もかかってしまった。
…それはまさに、不慮の事故だった。
負傷と屈辱に顔をゆがめながら、U字を描くように歩いて道を引き返し、どうしたものかと考えあぐねていると、右手に新たな上り階段の坂を発見。
これが旧市街につながっているかもしれない…と思い、ワクワクしながら上る。
(クリックで拡大)
それはまさに大当たりで、階段を上りきると見覚えのある家々が飛び込んできた。
7年前の記憶が一気によみがえる!
左側に懐かしの旧市街があり、右側は昔は豊かな森だったが、無残に伐り開かれ、踏みにじられた結果、今では新市街の家々がしれっと並んでいる。
そして旧市街をさらに進んで、左手の下り坂のちょっと先のくぼみに、ついに 「自分が以前住んでいた家」 を発見した!
家は7年前と全く変わっておらず、旧市街ともども、時間が止まったかのようだった。
それはまるで、わざわざ自分を懐かしませるために魔法をかけているかのようであった。
さて、なぜ自分が以前ここに家を借りていたかという話を簡単にしておこう。
当時、自分は正社員だったり、派遣社員 (技術系) でかなり稼いでいたりした時期があって、「せっかくだから一軒家を借りよう」 ということになったのだ。
ではなぜ一軒家にしたか…それは簡単な理由だった。
リビングに 「ゲーセンの筐体」 を置きたかったからだ。
ゲーセン筐体は、店で見ると小さく見えるが、実際買って家に置こうとすると、予想以上の大きさに面食らうことになる。
今でいうところのPS3やXbox360本体はおろか、テレビを買うのとも事情がまるで違うのだ。
もし住んでいるところがアパートだったら、100キロもの筐体を置くことで、床が抜ける心配があり、マンションでも、筐体の存外な大きさゆえにドアを通過できない可能性がある。
自分が一軒家にしたのは、庭の大きな引き戸から1階リビングに筐体を担ぎ込めばいいではないか…という、至極シンプルで大雑把な理由からであった。
(クリックで拡大)
…それにしてもどうしたことだろう、この旧市街は時間が停滞しているだけでなく、どうも “悲しみを含んだ重々しい空気” が流れているように感じた。
ふと旧市街から坂の上を見上げると、新市街の家が見え、上流階級の子供たちが能天気に…いや、のびのびと遊んでいるではないか。
何か対照的な光景でうらやましいな…ちょっと “向こう” に行ってみようか、と坂を上ってみた。
そして絶望した。
新市街の家々には 「柵」 が張り巡らせてあって、旧市街の人間がおいそれと入り込めないようになっているのである。
そんな大袈裟な、それぞれの家の塀のことでしょ…と思われるかもしれないが、それは文字通り、門外漢の意見である。
(クリックで拡大)
柵は新市街のそれぞれ個々の家に張られているのではなく、“新市街全体を覆っている” のである。
それは 「旧市民進入防止柵」 というべきものだった。
まるでユダヤのゲットーか、南アのアパルトヘイト政策の産物を彷彿とさせる光景だった。
旧市民とは決して交わってはいけない…固い拒絶の防壁なのである!
そして自分の旧市民としての誇りが、音を立てて崩れていくのが分かった。
7年という歳月は、かくも悲惨な結末を自分に見せるのか…そう思うと涙が出そうになった。
(クリックで拡大)
それは陵辱された故郷を見るかのようで、身も心もすさみきる5120歩のお散歩だった。
おとといは、家にいるとあまりの暑さで発狂しそうになったので、外に出ることにした。
ちょいとばかり、大掛かりな散歩をしてみよう。
さて場所であるが、大事な用事があったのと、どうせ散歩するなら “遠くて思い入れのある場所” がいいということで、かつて自分が住んでいた川崎の家を目指す散歩コースを設定した。
自分は2003年まで川崎の新百合ヶ丘に家を借りて住んでいて、あれから7年、全く立ち寄っていなかったので、今どうなっているのか…少しドキドキする。
夕方、新百合ヶ丘に着くと、北口 (さびれた方) に降り立つ。
駅前はさほど変わっていないのだが、家の方向に歩くと再開発の結果か、驚くほど街が開けていた。
(クリックで拡大)
自分の住んでいた家は、山の上にあるのだが、再開発で山が切り開かれてしまったため、上りの道が見つからない。
以前あった上り道は、コンクリートの護岸のような塀で、押し潰され、なくなっていたのだ。
まずい、どうしよう、家にたどり着けない…そう思っていると、さらに向こう側にキレイ新設された上り階段の坂を発見。
どうやらここから上るに違いない…山登りを始めることに。
(クリックで拡大)
しかし、上り始めてからも大変だった。
自分が引っ越した直後にこの一帯は再開発され、山の木の多くは伐り倒され、焼かれ、以前あった道は消え、森だったところに宅地や新たな道が出来たため、元・住民の自分でも全く地形がわからない。
トンネルなどなかったし、変に太い道が出来ているし、山の中腹から新百合ヶ丘の駅ビルを見下ろして現在地を確認しようと試みるのだが、勘が狂って上手くいかない。
(クリックで拡大)
昔はふもとから一直線に、家のある地区まで上がれる道があったのだが、今では地形が変わり、新市街も出来たので、そちら優先の道に変えられていたため、早くも迷い始める。
夕方とはいえ、気温30℃でさらに山登りという、散歩にしてはハード過ぎる道のり。
汗が止まらない!
とりあえず新市街を早く抜けようと直進するも、緑地帯や変な柵に阻まれて、先に進めなくなってしまった。
(クリックで拡大)
となるといよいよ焦り始め、どうやったら自分の住んでいた “旧市街”(再開発で新市街が出来たので) の家に着くんだ、もしやこの柵を越えれば…と、とある空き地に入って、柵を越えようとしたが高くて失敗。
何てことだ、と引き返すために空き地の中を歩いていた時、それは起きた。
地面のくぼみをよく見ていなかった上に、さらに石に蹴つまずいて転倒、尾てい骨を強打してしまったのだ。
あまりの痛みにまるで立ち上がれない!
「畜生、畜生!」 と呪詛を吐きつつ何とか頑張るも、立つのに45秒もかかってしまった。
…それはまさに、不慮の事故だった。
負傷と屈辱に顔をゆがめながら、U字を描くように歩いて道を引き返し、どうしたものかと考えあぐねていると、右手に新たな上り階段の坂を発見。
これが旧市街につながっているかもしれない…と思い、ワクワクしながら上る。
(クリックで拡大)
それはまさに大当たりで、階段を上りきると見覚えのある家々が飛び込んできた。
7年前の記憶が一気によみがえる!
左側に懐かしの旧市街があり、右側は昔は豊かな森だったが、無残に伐り開かれ、踏みにじられた結果、今では新市街の家々がしれっと並んでいる。
そして旧市街をさらに進んで、左手の下り坂のちょっと先のくぼみに、ついに 「自分が以前住んでいた家」 を発見した!
家は7年前と全く変わっておらず、旧市街ともども、時間が止まったかのようだった。
それはまるで、わざわざ自分を懐かしませるために魔法をかけているかのようであった。
さて、なぜ自分が以前ここに家を借りていたかという話を簡単にしておこう。
当時、自分は正社員だったり、派遣社員 (技術系) でかなり稼いでいたりした時期があって、「せっかくだから一軒家を借りよう」 ということになったのだ。
ではなぜ一軒家にしたか…それは簡単な理由だった。
リビングに 「ゲーセンの筐体」 を置きたかったからだ。
ゲーセン筐体は、店で見ると小さく見えるが、実際買って家に置こうとすると、予想以上の大きさに面食らうことになる。
今でいうところのPS3やXbox360本体はおろか、テレビを買うのとも事情がまるで違うのだ。
もし住んでいるところがアパートだったら、100キロもの筐体を置くことで、床が抜ける心配があり、マンションでも、筐体の存外な大きさゆえにドアを通過できない可能性がある。
自分が一軒家にしたのは、庭の大きな引き戸から1階リビングに筐体を担ぎ込めばいいではないか…という、至極シンプルで大雑把な理由からであった。
(クリックで拡大)
…それにしてもどうしたことだろう、この旧市街は時間が停滞しているだけでなく、どうも “悲しみを含んだ重々しい空気” が流れているように感じた。
ふと旧市街から坂の上を見上げると、新市街の家が見え、上流階級の子供たちが能天気に…いや、のびのびと遊んでいるではないか。
何か対照的な光景でうらやましいな…ちょっと “向こう” に行ってみようか、と坂を上ってみた。
そして絶望した。
新市街の家々には 「柵」 が張り巡らせてあって、旧市街の人間がおいそれと入り込めないようになっているのである。
そんな大袈裟な、それぞれの家の塀のことでしょ…と思われるかもしれないが、それは文字通り、門外漢の意見である。
(クリックで拡大)
柵は新市街のそれぞれ個々の家に張られているのではなく、“新市街全体を覆っている” のである。
それは 「旧市民進入防止柵」 というべきものだった。
まるでユダヤのゲットーか、南アのアパルトヘイト政策の産物を彷彿とさせる光景だった。
旧市民とは決して交わってはいけない…固い拒絶の防壁なのである!
そして自分の旧市民としての誇りが、音を立てて崩れていくのが分かった。
7年という歳月は、かくも悲惨な結末を自分に見せるのか…そう思うと涙が出そうになった。
(クリックで拡大)
それは陵辱された故郷を見るかのようで、身も心もすさみきる5120歩のお散歩だった。