2006年4月30日の記事です。

【厳しすぎる日本の「プロゲーマー化」】

 「プロゲーマー構想」も今回で2回目である。前回は1年前だったが、あれから世界のプロゲーム(競技)産業はまた大きく伸び、最高2000万円といわれていたプロゲーマーの年収も、米韓ともに「1億円」を越えた。

 一方、我が日本はそんなものはないかのごとく、相変わらずな、そして厳しい現実が立ちはだかっている。

 今流行っているゲームのシステムの多くは、日本が作ったもので、ゲームの元祖はアメリカのコンピューター・ゲームだとしても、日本は「中興の祖」くらいの地位にあり、その意味でゲームは「世界に誇る日本の文化」であることは間違いない。

 にもかかわらず、日本のゲームに対する評価はその「経済的評価」(どのくらいの市場の大きさかといった)を除けば、驚くほど低い。これは80年あたりの「インベーダーブーム」に対するマスコミや教育関係者の植え付けた「悪のイメージ」が現在も尾を引いていることによるが、これがついには今日の「国民的勘違い」にまで波及してしまったことは、悲劇的でさえある。

 低い国民的認識を如実に示した事件が、あの「 “ゲーム脳” 騒動」(2003年)だろう。「ゲームをすると痴呆のような症状が現れ、キレやすい人間に育つ」と提唱した森昭雄・日本大学教授が出現し、その間違った脳波測定法や根拠のない推測で、「ゲーム脳」というキャッチコピーまで生み出して(膿み出して)しまった。

 そんな中で「プロゲーマー」について調べようと思えば大変だ。例えば「プロ野球」について調べるなら簡単で、ネットスポーツ新聞を見るのもよし、「日本野球機構」のHPに行くもよし、情報はすぐに集まる。

 だが「プロゲーマー」となると、そうはいかない。検索にかけてもどこかの「プロゲーマーチーム」がヒットするでもなし、「(社)日本プロゲーマー協会」(あってもよさそうだが、存在しない)がヒットするでもなし、大抵ヒットするのは、プロゲーマーについて過去に一、二度くらい取り上げたことのあるニュースサイトか、自分のHPくらいのものである。とりわけ、異様に何度もヒットする自分のHPやブログを“よけながら” 探し回るさまは、実になさけない。

 さらに、この前日テレの『ズームインSUPER』を観ていたら、「何でも、ゲームをプレイすることで収入を得ている人がいるそうですよ」というレポーターに、キャスターが「えっ?!」と驚いていた。

 それだけ日本には「プロゲーマー」が根付いていないのである。


【日本がプロ化するための方法は?】

 「プロゲーマー」をどうやって認知させるかはひとまず置いておいて、ここで日本が海外のようにプロ化するためにはどのような方法があるか、具体的に見ていきたい。

《PCオンラインの場合》

 まず手っ取り早い方法として考えられるのは、世界的規模のプロゲーム大会「WCG」や「CPL」を日本に誘致することがあげられる。もし可能なら、否応なく国内でもプロゲーマーの存在が話題にのぼるだろう。

 しかしこれは話題作りの一環に過ぎず、真にプロ化を目指すなら、国内でプロリーグを作って年に数十試合はこなすことだろう。これまでのように、海外の試合に上手いゲーマーを送り込んでいる ”出稼ぎ” システムでは、海外にいける人数に制限が生まれる。なぜなら、渡航費の関係で、誰でも気軽に海外に行けるわけでもなく、実力があってもお金がないゲーマーなどは行けず、うまくプロが育たないからである。

 ただ、上記「WCG」や「CPL」は、独自に日本代表を選考して送り込んでいるようだが、その二つの大会のみでプレイヤーが生計を立てるのはやはり厳しいといわねばならない。

 したがって、国内で多くの試合をして上位プレイヤーには生活が保障され、他方、一挙に多くの新人プレイヤーを育成できる「国内リーグ」創設こそが必要不可欠な方法となってくる。

 いきなり国内リーグ創設は困難なので、無リーグ制の「国内試合」を行い、スポンサーに見てもらうことから始めてはいかがだろうか。

 ともあれ何より、「(社)日本プロゲーマー協会」がまだ作れないにせよ、それに先行するようなHPを積極的にどんどん立ち上げていくべきだろう。「プロゲーマー」検索で1番目に過去のニュースサイトの記事、2番目に自分のHPが来ているようでは、かなり厳しいものがある。

《アーケード(対戦格闘)の場合》

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 試合形式がPCと変わらないため、PCと同じ方法が使える。そればかりでなく、上の図が示す通り、「PCと合同でプロ化する」のが最も有効な方法ではないかと考えている。

 それはいうまでもなく、韓国と日本の立場の違いからであり、韓国の場合、PCオンラインゲームがゲームの主流を占めているのに対し、日本の場合はPCと共にアーケードなども非常に盛り上がっているためである。

 したがって、自分はPCのみのプロ化にこだわるべきでないと考えるし、PC、アーケード合同で一大国内大会を開催した方が効率的であるし、そちらの方がむいろ、世間の耳目も集めるのではないだろうか。

 他方、現在的な視点でとらえると、アーケードでは「闘劇」という “格闘ゲーム全国大会” が盛んである。現時点では、この大会で出る賞金はゼロに近いが、この大会でスポンサーを増やし、お金が集まったところでそれを上位プレイヤーに還元できるかが、今後のカギだろう。
 とにかく、韓国で流行っているゲームやジャンルを日本に焼き直しても、意味がない。

 もし、スポンサーが集まらなかったり、お金を運営者側で押さえてしまうような状況に陥れば、終わりである。

《アーケード(シューティングなど “非格闘” のもの)、家庭用の場合》

 PCやアーケード格ゲーと違い、辛いのがこのジャンルである。対戦形式でないために勝敗も付かず、ファイトマネーももらえない。しかしこのジャンルにおいても、ちゃんとプロ化する方策がある。

 それは、プレイヤーがプレイした映像をDVDにして販売する方法である。これまでのプロゲーマー像と比べると、どちらかというと歌手や作家に近い。

 となると、プレイの報酬形態は歌手や作家と同様、定価の○○%という「歩合制」を取るべきである。自分はこの「歩合制」こそ、このジャンルにおいてプロゲーマー化するための「絶対に譲ってはならない最低条件」だと考えている。

 具体的には、「DVD定価の10%以上」なければ、到底生きていくことは出来ないだろう。

 しかし残念なことに、最近の傾向では、数万から十数万程度のお金を渡されて「権利を買い取られる」か、コンビニのバイト程度の時給を、収録時にもらってそれで終わり、という信じられない「大安売り」を強いられている。

 もちろんそうした方が(プレイヤーから安く買い叩いた方が)、メーカーにとってコストダウンが図れ、結構なことなのだろうが、それによって上手いプレイヤーが食えなくなって、どんどん辞めていくことで、結局その弊害はメーカー自身に返ってくるのである。

 プレイヤーとメーカーが、いい条件でお互い協力して初めて、このビジネスが成立するのである。


【プロ化を阻む問題~「社会」の認識の低さ~】

アメリカ韓国日本
職業的的地位プロスポーツ選手として
確立
プロスポーツ選手として
確立
職業としてほとんど
成立していない
年収数百万~1億円200万~1億円0円~10万円
社会の評価いいものはいいと
正当に認められる
(合理的思考)
スポーツマンであり、
エリート
(その明晰な頭脳を
軍が欲しがっている)
キモイ
オタク
カネの無駄遣い
時間の無駄遣い
社会の落伍者
狂ってる
犯罪予備軍

 まずは上のグラフを見てもらいたい。これが端的に示した「日本のコアなゲーマーと海外のプロゲーマーの差」である。

 こうやって見ると海外との差は一目瞭然で、よくもここまで差をつけられたものかと、思わず感心してしまう。

 まあそれにしても、「社会的評価~日本」の項目は、絶望的な文句が並び過ぎではないかと憤慨される方もおられるかも知れない。しかし非常に遺憾なことだが、これら全て、ゲーマーの自分がここ10年の間に浴びせられた言葉である。

 もちろんこれは、ゲームを生活のアクセントとしてたしなむ程度の「ライトユーザー」のことではなく、ゲームが完全に生活の大部分を占めるようなマニアを指しての評価であるが、それでもその評価の低さに唖然とさせられる。

 そして、このような社会的評価の低さこそ、「プロゲーマー化」のための大きな障壁の一つとなっている。当然である。どんな企業人も、“こんな者” 相手にビジネスをしようなど、思いもつかないだろう。

 どうしてもこの国は相手を “見た目” で判断してしまう。見た目の時点で「キモイ」と思ってしまうとそこで思考停止してしまい、内容を見ようとしなくなる。

 先の章で触れた「ゲーム脳騒動」がその好例であろう。

 アメリカやヨーロッパにも、日本の「ゲーム脳騒動」が伝わったが、あまりに非論理的なので、一笑に付されている。にもかかわらず我が国では、その真偽も見極めずにTVで取り上げたり、ゲームを「悪」と信じた自称教育者や教育ママが、オウム信者さながらに、こぞって森昭雄講演会に通いつめている(一部とはいえ)。

 21世紀になってまで、未だ ”迷信” に支配されているのかと思うと、嘆かわしい現実だ。これが欧米との「教育の差」なのだろうか。

 この「国民的マインドコントロール」を解く方法は、直接的にそれは間違っているよ、と指摘するのではなく、「客観的データ」をいくつも提示し、相手が自然と考え方を変えるのを待つのが最良だとされている(参考文献:『マインドコントロールの恐怖』スティーブン・ハッサン著 浅見定雄訳 恒友出版)。

 ここでは社会の偏見を解き、プロゲーマー化にこぎ着けるわけなので、プロ競技とすることでどれほどの経済的社会貢献が出来るのかについてのデータが必要になってくる。

 その一例として、こういうものがある。

 データは古いが、プロゲーマー事情に詳しい竹井弘樹氏によると、韓国のプロゲーマー大会で人気のある『スタークラフト』(ゲームタイトル)だけで、「約1100億円の経済的波及効果」があるといわれている。その内訳は、PCバン(ネットカフェ)の営業売り上げが900億円と最も多く、その次に50億円弱のゲーム売り上げが続き、さらに放送(TV中継)の売り上げ、関連書籍売り上げ、キャラクターグッズ売り上げと、かなり広範に潤っているのが分かる。

 といった感じで、こういったデータを他にも探してきて、プロゲーム産業の魅力を示していくしかない。


【プロ化を阻む問題~「ゲーマー自身」の認識の低さ~】

 もう一つ、プロ化を阻む問題があるとしたら、それは「ゲーマー自身」の問題になってくるだろう。

 だがこれもやはり、このような社会状況下においては、ゲーマー自身も萎縮してしまうのか、ほとんど「プロ化」について考えられなくなっているし、語ろうともしない。日本でゲーマーが個人で「プロ契約」を結んだ例は、SIGUMA氏の1件以外に聞いたことがない。

 プロ契約とは到底呼べない契約なら、現在も水面下で無数に取り交わされているのだが、それでは意味がないばかりか、逆にプロ化を遅らせる有害要因でしかない。

 自分のゲームジャンル(非格闘系アーケード)での例をあげると、こんなものがあった。

 今から約10年前、あるアーケードゲームのVHSがメーカーから出され、そのプレイは日本を代表するような有名プレイヤーが担当した。

 そして内容もさることながら、前評判も高かったことと、当時のアーケード(ビデオゲーム)のプレイ人口は、今と比べ物にならないほど多かったことから、このVHSは2万本売れたという。

 もし前々章で示したような「定価の10%」をプレイヤーが受け取っていたなら、1本6千円の作品なので、600円となり、それに2万を掛けて、1200万円となるはずだ。

 ところが当時はそんな契約がされるはずもなく、いいように買い叩かれ、プレイヤーが受け取った額は、たったの10万円だった。

 これはどうやら、日本人なら伝統の「権利意識の低さ」が関係しているように思えてならない。別に先の件に限らず、現在に至るまで多くの日本のゲーマーが交わす契約は、そのようなものである。「作品さえ出ればお金なんていいですよ」という、いわゆる ”無欲” である。

 だが契約した本人は、無欲であったり清貧であったりするつもりなのかもしれないが、自分からみてそれは、「意味の無い善意」である。いやむしろ、それによってゲーマーがいいように使われ、更には “キモイ” 、 “犯罪予備軍” と言われるような、「ゲーマーの地位低下」を引き起こす元凶の一つになっている。なぜなら、そんな契約ではゲームを職業となし得ないし、それで自活し、「e‐スポーツ」としての地位を確立しなければ、いつまで経っても昔のゲーマーの暗いイメージは消えないと、容易に予測できるためである。

 あと余談だが、こういうことを具体的かつ声高に主張するのは、自分も過去に権利を安く提供した「過ち」があるためである。当時は「プロゲーマー」の存在も知らず、数百万から1億稼ぐ海外プレイヤーの存在も知らなかったので、こういった「権利」について考えもしなかったが、今となっては恥ずかしい限りである。

 とはいうものの、このような「権利意識」を自分はどこに行っても包み隠さず話すので、よく「カネの亡者か」と汚い陰口を叩かれることもある。何より、ゲーマーの地位向上と生活保障が最優先課題であり、それを目指してやっているのに、身内(ゲーマー)がこれでは・・・と思い、そのたびに情けなくなる。

 こういう連中がはびこっているようでは、欧米に権利意識が追いつくのは、あと50年から100年くらいかかるのではないだろうか。


【なぜ、プロゲーマー化なのか?】

 一方でひょっとしたら、「プロ化」しなくてもゲームの世界が失われるわけではないから関係ない、あるいは自分はプロになるわけでないからどうでもいい、という方もおられるかも知れない。

 だがそれによって、我々は「二つの価値」を失うこととなるだろう。

 一つは先述した「ゲーマーの社会的地位の向上」であり、もう一つは「プロを観る楽しみ」である。

 PCゲームにせよ、アーケード・家庭用にせよ、プロ化していないとはいえ、現在日本には世界レベルのプレイヤーが無数に眠っている・・・いや今も活動していて、素晴らしいプレイを披露しているのだが、スポットが当たらないので眠っているように見えるだけである。

 今こそ “目覚め” の時である。