※2013年1月28日の日記です。
朝のHP更新作業前に、コーヒーを淹れた。
昨日のにちはHP更新作業後は“サンジャポ”見ずに朝の買い出しに。
今日は何かと前倒しで。
☆・☆・☆
島忠で買い物。
近所のオアシス・島忠でミドリフグをバックさせて遊んだ後で、ウパ水槽用・フィルターを10個近く購入。
一度戻ってモツ炒めの昼食。
☆・☆・☆
代官山に到着。
食後、5キロ先の代官山で服など見ていたら、どこも50~70%オフと、割りと必死で驚いた。
ざっと見たあと、いつもの店で、明日の朝に食べるフォカッチャを買う。
☆・☆・☆
代官山の奥、猿楽町方面にある「蔦屋書店」。
さて、自分が代官山に来たのは、こういう事ではない。
真の目的は、山手通り沿いにある「蔦屋書店」だ。
ここは本だけでなく音楽やDVDなど、書店を越えたサービスの数々に、店自体が洒落たデザインのモデルハウスのごとき空間、最初に来るとアッと驚く店であり、この日も客で沸騰していた。
☆・☆・☆
1階が書店、2階が本がゆっくり読めるカフェの棟も。
もちろん、本も相当数の品ぞろえ、特にデザイン絡みの本が極めて充実しているのを以前から知っていたので、ここでゆっくり時間をかけて探してみようと、朝から予定を前倒しにしていたのだ。
自分が読みたかったのは「陶器の本」で、正月からどうも陶器を引きずっている部分があったので、ここでスパッとキリをつけたかったのだ。
☆・☆・☆
コーヒーやパスタを食べながら、本を読むというスタイル。
「フランスの雑誌広告」、「日本語教師になろう」などに、ちょいちょい浮気しながらも、陶器の本を探す。
果たして、本は見つかった。
デザインやサブカルほどではないにせよ、ちゃんとあった。
見たかったのは、400年以上続く“楽焼茶碗”の技法についての本で、自分が知りたかったのは、「釉薬の塗り方」その1点のみだった。
☆・☆・☆
安土桃山時代に生まれた「楽焼」の本。
秀吉時代から15代続く楽焼家元でも、代によってかなり考えが分かれた…転じてここから「決まった答えは無いという答え」が導き出せたことで、非常に満足が得られた。
答えがないということは、自分が楽焼茶碗の「釉薬の塗り方」に対して持つ、こうあれかしという“美意識”は、正当性を欠く要求でなかっという事だ。
孔子の“朝に道を聞かば~”ではないが、これが分かっただけで、今日は終わりにしてもいい。
☆・☆・☆
都庁に夕陽が差してきた。
最後に、あるファッション誌も買おうと見て回り、店内iPadでも調べたが、さすがに取り扱っていないようで、やっぱり今日はこの辺で終わらせておこう、よく頑張った…と締めにかかって帰路についていたら、夕陽が差してきた。
そういえば、「都庁から夕日を見てみたい…」と昨日つぶやいた。
そこでもうひと頑張り、都庁まで行き、45階の展望室まで上り、ピタッと窓に張り付き、タオルで窓をキュッキュ磨いてからカメラを構えた。
眼前には小さくなった東京の街、夕陽はオレンジ色をさらに強くして、さらに向こう、山梨方面の山脈にいよいよ沈もうとしていた。
☆・☆・☆
山梨の山脈に夕日。 なお左のビルは初台「オペラシティ」。
沈みゆく夕日。
何がキレイかというと、沈む場所からこちら側に筋となって出来る「光の道」である。
その道の下にある、ビルや家々や道といったありとあらゆる建造物が、強いオレンジに光り輝くのだ。
☆・☆・☆
いよいよ夕日が山脈に接触。
そして夕日は山梨の山脈に接触、その一瞬、東京の街は真っ黒のシルエット状になって、溶ける。
夕日は勝ち誇っているのか、それとも最後の輝きなのか、そのオレンジ色をひときわ強くして、輝く。
☆・☆・☆
夕日の右下……富士山登場!
そのまま夕日は山脈にめり込む。
…とその時である。
ある山が唐突に、まるで焙りだされるように浮かび上がってきた。
「富士山」だった。
☆・☆・☆
富士山の山裾に、夕日が沈んでゆく…。
カメラを一気に富士山にズームさせる。
すると夕日が富士山の左肩あたりを、真下に撫で下ろすように沈んでいくところだった。
夕陽は山裾を削り取るかのように、少しずつ沈んでいき、一瞬真っ白に光ったと思うや否や、逆にフッと山の中に消えたのだ。
わずか30秒の事だった。
☆・☆・☆
夕日と入れ替わるように、富士山がその姿を保ち続ける。
都庁展望室は日食でも見た後のようにサーッと沈黙していて、わずかに「沈む瞬間は呆気ないな…」と自分の後ろでカメラの砲列の1人が、溜め息まじりにつぶやくのみだった。
バックには、薄く引き伸ばされたオレンジの緞帳を背負った富士山が、何事も無かったかのようにお色直しを済ませて、そこに屹立していた。
☆・☆・☆
夕日と富士山が入れ替わり、街は一瞬静かになったかのよう。
夕日が山脈の向こうに隠れてしまうと、夕方の交代劇で一息ついているのか、それとも、余韻に浸っている我々を投影しているのか、まるで時が止まったように街は沈黙しているように見えた。
☆・☆・☆
街に灯りがつき始めた。
しかし、すぐ街は我に返り、夜があることを思い出したかのように、ポツポツと街灯やビルに照明を灯し始める。
☆・☆・☆
17時15分、もはや夜景に切り替わる。
そして10分も経たぬうちに、街は家路を急ぐかのごとき慌ただしさで、“夜”へと衣替えを済ませたのだった。
☆・☆・☆
帰宅後、“おでん”に。
さて、都庁展望室で妙な体勢で夕日を撮っていたため、とても疲れた。
そのため晩御飯は晴れて“おでん”に…!
ただこの“おでん”、下ごしらえを「野菜と卵のみ」と「肉や魚介類」を“別々の鍋で煮る”というのをやっている。
これまで野菜も魚介も最初から一緒に似ていたが、それだと大根やジャガイモなどに、余計なまでに魚介の匂いがつき過ぎて、実はこれは、物心ついた幼少の頃からの悩みのタネだった。
しかし1週間前、ふとこれらの素材を分けて煮込み、寝かし終わった最後に一緒にブレンドして完成させれば、お互いに過干渉しない程良い風味が保てるのでは…とフト浮かんできたので、試しとばかりにやってみたのだ。
食べてみると、味は染みていながら、余計な風味は排除できていた。
…これはいける、完璧だ!
☆・☆・☆
完璧……だと思ったのだが、残念ながら違ったようだ。
“こんにゃく”がまだ残っていた…買い物袋の中に。
理屈も間違っていない、まあ味もこれでいいので、今度はこんにゃくも加えて気持ち良く完成に持ち込みたい。
朝のHP更新作業前に、コーヒーを淹れた。
昨日のにちはHP更新作業後は“サンジャポ”見ずに朝の買い出しに。
今日は何かと前倒しで。
☆・☆・☆
島忠で買い物。
近所のオアシス・島忠でミドリフグをバックさせて遊んだ後で、ウパ水槽用・フィルターを10個近く購入。
一度戻ってモツ炒めの昼食。
☆・☆・☆
代官山に到着。
食後、5キロ先の代官山で服など見ていたら、どこも50~70%オフと、割りと必死で驚いた。
ざっと見たあと、いつもの店で、明日の朝に食べるフォカッチャを買う。
☆・☆・☆
代官山の奥、猿楽町方面にある「蔦屋書店」。
さて、自分が代官山に来たのは、こういう事ではない。
真の目的は、山手通り沿いにある「蔦屋書店」だ。
ここは本だけでなく音楽やDVDなど、書店を越えたサービスの数々に、店自体が洒落たデザインのモデルハウスのごとき空間、最初に来るとアッと驚く店であり、この日も客で沸騰していた。
☆・☆・☆
1階が書店、2階が本がゆっくり読めるカフェの棟も。
もちろん、本も相当数の品ぞろえ、特にデザイン絡みの本が極めて充実しているのを以前から知っていたので、ここでゆっくり時間をかけて探してみようと、朝から予定を前倒しにしていたのだ。
自分が読みたかったのは「陶器の本」で、正月からどうも陶器を引きずっている部分があったので、ここでスパッとキリをつけたかったのだ。
☆・☆・☆
コーヒーやパスタを食べながら、本を読むというスタイル。
「フランスの雑誌広告」、「日本語教師になろう」などに、ちょいちょい浮気しながらも、陶器の本を探す。
果たして、本は見つかった。
デザインやサブカルほどではないにせよ、ちゃんとあった。
見たかったのは、400年以上続く“楽焼茶碗”の技法についての本で、自分が知りたかったのは、「釉薬の塗り方」その1点のみだった。
☆・☆・☆
安土桃山時代に生まれた「楽焼」の本。
秀吉時代から15代続く楽焼家元でも、代によってかなり考えが分かれた…転じてここから「決まった答えは無いという答え」が導き出せたことで、非常に満足が得られた。
答えがないということは、自分が楽焼茶碗の「釉薬の塗り方」に対して持つ、こうあれかしという“美意識”は、正当性を欠く要求でなかっという事だ。
孔子の“朝に道を聞かば~”ではないが、これが分かっただけで、今日は終わりにしてもいい。
☆・☆・☆
都庁に夕陽が差してきた。
最後に、あるファッション誌も買おうと見て回り、店内iPadでも調べたが、さすがに取り扱っていないようで、やっぱり今日はこの辺で終わらせておこう、よく頑張った…と締めにかかって帰路についていたら、夕陽が差してきた。
そういえば、「都庁から夕日を見てみたい…」と昨日つぶやいた。
そこでもうひと頑張り、都庁まで行き、45階の展望室まで上り、ピタッと窓に張り付き、タオルで窓をキュッキュ磨いてからカメラを構えた。
眼前には小さくなった東京の街、夕陽はオレンジ色をさらに強くして、さらに向こう、山梨方面の山脈にいよいよ沈もうとしていた。
☆・☆・☆
山梨の山脈に夕日。 なお左のビルは初台「オペラシティ」。
沈みゆく夕日。
何がキレイかというと、沈む場所からこちら側に筋となって出来る「光の道」である。
その道の下にある、ビルや家々や道といったありとあらゆる建造物が、強いオレンジに光り輝くのだ。
☆・☆・☆
いよいよ夕日が山脈に接触。
そして夕日は山梨の山脈に接触、その一瞬、東京の街は真っ黒のシルエット状になって、溶ける。
夕日は勝ち誇っているのか、それとも最後の輝きなのか、そのオレンジ色をひときわ強くして、輝く。
☆・☆・☆
夕日の右下……富士山登場!
そのまま夕日は山脈にめり込む。
…とその時である。
ある山が唐突に、まるで焙りだされるように浮かび上がってきた。
「富士山」だった。
☆・☆・☆
富士山の山裾に、夕日が沈んでゆく…。
カメラを一気に富士山にズームさせる。
すると夕日が富士山の左肩あたりを、真下に撫で下ろすように沈んでいくところだった。
夕陽は山裾を削り取るかのように、少しずつ沈んでいき、一瞬真っ白に光ったと思うや否や、逆にフッと山の中に消えたのだ。
わずか30秒の事だった。
☆・☆・☆
夕日と入れ替わるように、富士山がその姿を保ち続ける。
都庁展望室は日食でも見た後のようにサーッと沈黙していて、わずかに「沈む瞬間は呆気ないな…」と自分の後ろでカメラの砲列の1人が、溜め息まじりにつぶやくのみだった。
バックには、薄く引き伸ばされたオレンジの緞帳を背負った富士山が、何事も無かったかのようにお色直しを済ませて、そこに屹立していた。
☆・☆・☆
夕日と富士山が入れ替わり、街は一瞬静かになったかのよう。
夕日が山脈の向こうに隠れてしまうと、夕方の交代劇で一息ついているのか、それとも、余韻に浸っている我々を投影しているのか、まるで時が止まったように街は沈黙しているように見えた。
☆・☆・☆
街に灯りがつき始めた。
しかし、すぐ街は我に返り、夜があることを思い出したかのように、ポツポツと街灯やビルに照明を灯し始める。
☆・☆・☆
17時15分、もはや夜景に切り替わる。
そして10分も経たぬうちに、街は家路を急ぐかのごとき慌ただしさで、“夜”へと衣替えを済ませたのだった。
☆・☆・☆
帰宅後、“おでん”に。
さて、都庁展望室で妙な体勢で夕日を撮っていたため、とても疲れた。
そのため晩御飯は晴れて“おでん”に…!
ただこの“おでん”、下ごしらえを「野菜と卵のみ」と「肉や魚介類」を“別々の鍋で煮る”というのをやっている。
これまで野菜も魚介も最初から一緒に似ていたが、それだと大根やジャガイモなどに、余計なまでに魚介の匂いがつき過ぎて、実はこれは、物心ついた幼少の頃からの悩みのタネだった。
しかし1週間前、ふとこれらの素材を分けて煮込み、寝かし終わった最後に一緒にブレンドして完成させれば、お互いに過干渉しない程良い風味が保てるのでは…とフト浮かんできたので、試しとばかりにやってみたのだ。
食べてみると、味は染みていながら、余計な風味は排除できていた。
…これはいける、完璧だ!
☆・☆・☆
完璧……だと思ったのだが、残念ながら違ったようだ。
“こんにゃく”がまだ残っていた…買い物袋の中に。
理屈も間違っていない、まあ味もこれでいいので、今度はこんにゃくも加えて気持ち良く完成に持ち込みたい。