※2013年1月24日の日記です。
ずっと忘れていたが、久々に思い出した話。
さて自分は基本的に医者は苦手なのだが、そんな中でも1人だけ、例外の医者がいた。
もう20年以上も前で、大阪に住んでいた子供時代の話なのだが、家の近所に折り紙付きの“ヤブ医者”がいた。
どれくらいヤブ医者かと言うと、診察は適当、病名は間違える、どんな場合も注射はしたくない、挙げ句の果てに、夜中に自らの診療所の入り口前で泥酔してグデーンとくたばっているというもので、それも1度や2度の事ではない。
住民がそんな医者を敬遠するのは当たり前で、みんな5キロ以上離れた市民病院に行っていて、バブル経済の余韻残るいい時代にありながら、このヤブ医院だけはガラーンとしたフロアの至るところに閑古鳥が転がって餓死していた。
☆・☆・☆
でも自分はこのヤブ医者が大好きだった。
理由は注射をしないから。そしてさらに、注射の代わりに色んな話を教えてくれるものだから、病院を毛嫌いしている自分でさえ、この医院に行くのが楽しみという“ねじれ現象”すら起きていた。
☆・☆・☆
そんなヤブ医者が教えてくれた話で、現在でも使えそうなのが「塩分を摂り過ぎてもOK」…という話だ。
当時から減塩ブームはあって、ネコも杓子も減塩商品に飛び付く中、ヤブ医者はそれを一笑に付した。
「そんなもん、水をいっぱい飲んどけばエエんや」
水を飲めば尿がしたくなる、尿にはナトリウムが含まれているから、体内から塩分が出ていく。
変に神経質にならんと、水をキッチリ摂っとけば何食うてもエエ…と。
☆・☆・☆
また自分がインフルエンザにかかった時も、ここの医院に行くこととなった。
ヤブ医者は自分を一通り診て「脱水症状になっとらんな、水をよう飲んどったみたいやな、えらいぞ」と言ったきり、診察を打ち切った。
「点滴も要らん、それほど状態エエのに点滴みたいなんは、資源のムダ遣いやさかいに」
最低限、最低量の薬だけ渡された。
☆・☆・☆
あれから20年。
本当に必要なのか?と言いたくなる医療や健康商品で、列島は溢れかえっている。
それこそ、水飲めばしまいな健康事情でも高額なサプリを買ってみたり、ちょっとした病気にさえ、機関銃の弾みたく大量に連なった薬を処方されたりと、カネに裏打ちされた物量による解決が当たり前となっている。
もちろん、喘息の発作が出た、骨折した、おばあちゃんが肺炎になった…などの場合は、必ず医療が必要だ。
しかし風邪引いた、ちょっと腹痛いレベルでは、それは疑問だし、塩分過多による病気も水飲みで防げるなど、未然に防ぐ手立てだって、ある。
何でもカネで解決すべき案件ではないのだ。
☆・☆・☆
言うまでもなく、日本はあと少しで超高齢化社会を迎える。
政府は早速“増税策”で乗りきろうとしているが、結局それでは庶民のカネで解決と同じやり方でしかない。
もはや余計な医療の点数で、税金をズルズル引き出されて平気でいられる時代でないにもかかわらず。
庶民も政府も工夫次第で医療費にかかる税金を抑えるすべはまだあるのだろうに…。
この状況を見て、あのヤブ医者なら何と言うことだろう。
やっぱり、「水飲んどればエエんや!」だろうか。
もっとも、自分が診てもらっていた頃には80をゆうに越えていたから、今はもうこの世にいない可能性の方が高いが。
☆・☆・☆
なお、これは後で知った事だが、あのヤブ医者は「京大医学部出の超英才」だったそうだ。
ただでさえ“大卒=エリート”の時代、大病院でも大学病院でも引く手あまただったハズだが、水が合わなかったか早々に独立、開業医になったという。
実際に言うことも実に当たっていたワケだし、診療後の予後だって非常に良かった。
…本当は「名医」だったのかも知れない。
ずっと忘れていたが、久々に思い出した話。
さて自分は基本的に医者は苦手なのだが、そんな中でも1人だけ、例外の医者がいた。
もう20年以上も前で、大阪に住んでいた子供時代の話なのだが、家の近所に折り紙付きの“ヤブ医者”がいた。
どれくらいヤブ医者かと言うと、診察は適当、病名は間違える、どんな場合も注射はしたくない、挙げ句の果てに、夜中に自らの診療所の入り口前で泥酔してグデーンとくたばっているというもので、それも1度や2度の事ではない。
住民がそんな医者を敬遠するのは当たり前で、みんな5キロ以上離れた市民病院に行っていて、バブル経済の余韻残るいい時代にありながら、このヤブ医院だけはガラーンとしたフロアの至るところに閑古鳥が転がって餓死していた。
☆・☆・☆
でも自分はこのヤブ医者が大好きだった。
理由は注射をしないから。そしてさらに、注射の代わりに色んな話を教えてくれるものだから、病院を毛嫌いしている自分でさえ、この医院に行くのが楽しみという“ねじれ現象”すら起きていた。
☆・☆・☆
そんなヤブ医者が教えてくれた話で、現在でも使えそうなのが「塩分を摂り過ぎてもOK」…という話だ。
当時から減塩ブームはあって、ネコも杓子も減塩商品に飛び付く中、ヤブ医者はそれを一笑に付した。
「そんなもん、水をいっぱい飲んどけばエエんや」
水を飲めば尿がしたくなる、尿にはナトリウムが含まれているから、体内から塩分が出ていく。
変に神経質にならんと、水をキッチリ摂っとけば何食うてもエエ…と。
☆・☆・☆
また自分がインフルエンザにかかった時も、ここの医院に行くこととなった。
ヤブ医者は自分を一通り診て「脱水症状になっとらんな、水をよう飲んどったみたいやな、えらいぞ」と言ったきり、診察を打ち切った。
「点滴も要らん、それほど状態エエのに点滴みたいなんは、資源のムダ遣いやさかいに」
最低限、最低量の薬だけ渡された。
☆・☆・☆
あれから20年。
本当に必要なのか?と言いたくなる医療や健康商品で、列島は溢れかえっている。
それこそ、水飲めばしまいな健康事情でも高額なサプリを買ってみたり、ちょっとした病気にさえ、機関銃の弾みたく大量に連なった薬を処方されたりと、カネに裏打ちされた物量による解決が当たり前となっている。
もちろん、喘息の発作が出た、骨折した、おばあちゃんが肺炎になった…などの場合は、必ず医療が必要だ。
しかし風邪引いた、ちょっと腹痛いレベルでは、それは疑問だし、塩分過多による病気も水飲みで防げるなど、未然に防ぐ手立てだって、ある。
何でもカネで解決すべき案件ではないのだ。
☆・☆・☆
言うまでもなく、日本はあと少しで超高齢化社会を迎える。
政府は早速“増税策”で乗りきろうとしているが、結局それでは庶民のカネで解決と同じやり方でしかない。
もはや余計な医療の点数で、税金をズルズル引き出されて平気でいられる時代でないにもかかわらず。
庶民も政府も工夫次第で医療費にかかる税金を抑えるすべはまだあるのだろうに…。
この状況を見て、あのヤブ医者なら何と言うことだろう。
やっぱり、「水飲んどればエエんや!」だろうか。
もっとも、自分が診てもらっていた頃には80をゆうに越えていたから、今はもうこの世にいない可能性の方が高いが。
☆・☆・☆
なお、これは後で知った事だが、あのヤブ医者は「京大医学部出の超英才」だったそうだ。
ただでさえ“大卒=エリート”の時代、大病院でも大学病院でも引く手あまただったハズだが、水が合わなかったか早々に独立、開業医になったという。
実際に言うことも実に当たっていたワケだし、診療後の予後だって非常に良かった。
…本当は「名医」だったのかも知れない。