東日本大震災・3.11当日 死ぬ気で10キロ走った理由


2011年3月11日の日記です。

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みんな外に避難、そしてエレベーターには、
階数でなくこんな表示が!

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 きのう・3月11日、午後2時45分ごろ、大地震が起きた。
 宮城県北部で震度7、マグニチュード8.8という、日本で起きた中では最大のものだった。

 自分は職場のビル4階にいて、激しい横揺れにイスの下にしゃがみこんでしまった。

 「これが東海大地震か、ついに来てしまったのか!」
 やけに長い時間を揺れる中、自分は真っ先にそう思った。

 重低音の轟音の中、コップの割れる鋭い音がして、職場の人は 「大きい」 、「ヤバイ」 と顔面蒼白、まるで生きた心地がしなかった。

 ようやく揺れが収まると、自分達は外に避難することにした。
 外はすでに避難した各社社員でひしめいていて、物々しい雰囲気になっている。

 自分は早速iPhoneで情報収集を始め、今回の地震が東北の地震で、しかも最大震度 「7」 に至る最悪のものであったことを、知った。

 だから直後に実家に安否を知らせる電話をしたのだが、つながらなかった。
 回線がパンクしていた。

 ネットは重いながらも何とかつながって、お台場の大火事や仙台駅の崩落画像を見て、青ざめた。
 自分のiPhone画面を見に来た職場の人も、ただただ驚いていた。

 この現状においては、一番早い情報は 「Twitter」 だった。
 情報の正確性が非常に疑わしいものの、「家や車が流されている」 といった悲痛な書き込みには、それなりの信憑性を感じていた。

 いったんビルに戻り、仕事を再開したものの、その後も余震が続き、もう仕事にならないということで、18時前に帰宅することになった。


【18:10 田橋】

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陸橋の上まで、人、人、人!
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 しかし 「飯田橋」 まで来て、問題に直面した。
 まだ電車が動こうとしないのだ。

 地震直後、JRも地下鉄も、全部止まってしまった。
 3時間以上経った今となっても、動く気配がなく、路上は人で溢れていた。

 自分は早く家に帰らねばならない理由があった。
 だから、自分は電車を使うのを諦めた。

 そして、この飯田橋から家までの10キロの道のりを、走ることにした。


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東京でこんな光景を見ることになろうとは。
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 大通りに出ると、まさに信じられない光景だった。
 祭りでもないのに、鈴なりになって歩道を歩く人、その横の車道はクルマで大渋滞となって、全然進まない。

 しかし何というか、こんな所で使えるものなのか、ゲームで培った動体視力が非常に効果を発揮した。

 わずかに空いた “人の隙間” を見つけては、「八艘飛び」(はっそうとび) でヒョイヒョイと飛び抜けていくことができた。

 目の前の人でなく、2、3人先の人を見るようにしてやるのがコツだ。


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防災装備の人や、卒業式なのか、袴姿の子も。
晴れ晴れしい日にこんな目に遭うなんて…。

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 しかしどうしても避けられない人混みもあり、さらに重い服装や中身の詰まったカバンを持った状況ではそんなに長く走れるものではない。

 ひたすら走り、飛び、阻まれて歩く時に体力回復、そしてまた走り、飛ぶ。


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自転車屋に、まさかの人だかりが!
その目的とは?

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 すると、ただでさえ人が多い中、あるお店に物凄い人が殺到しているのを見つけた。

 自転車屋だった。
 何と、この場で自転車を買って、それに乗って帰宅しようというのだ。

 「そこまでやるかぁ!」(30代・サラリーマン)、「チャリ買ってるー、ウケるー」(20代・OL) というふざけた声の中、「タクシーで遠くまで帰るくらいなら、1万円で自転車を買ったほうが賢いじゃん」(20代・サラリーマン) という意見もあった。

 実際のところ、自転車という選択は、非常に効果的だった。

 なぜなら歩道は人だらけで、歩くと何時間かかるか分からない。
 だからといって、バスやタクシーに乗ったところで、あまりの渋滞にロクに進みやしない。

 だったら車道の隙間を縫って自転車で帰るというのは、非常に合理的だ。

 現在、まさにその通りの光景が繰り広げられていて、この被災地・東京で一番スイスイ動いていたのは、上空を飛ぶマスコミのヘリと、この自転車だったのである!

 いつも自転車に乗っている自分は、走りながらも、ただただ悔しかった。
 なぜ電車で通勤してしまったのか…と!

 それにしても、これほど自転車がブルジョワジーだったことが、過去にあっただろうか!


【18:48 新宿苑前】

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意外と早く着いた?
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 飯田橋を18時10分に出発、ひたすら走って、ついに 「新宿御苑」 まで来た。

 時計を見ると18時48分、所要時間38分は人混みがなければひどく遅いものだが、この状況では比較的早かったのではないか、と思う。

 理由は人混み避けだけでなく、別にもあって、それは “抜け道” を使ったことだ。

 日常的に自転車で都心を走り回っていたので、ショートカットするルートをいくつも知っていて、そこは人がさほど歩いていなかったので、スイスイ進めたというわけだ。


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新宿南口が見えてきた。
街頭ビジョンには、衝撃的な映像が。

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 しかし、新宿御苑から新宿への抜け道は大してなく、大通りに戻ると、凄い人混みに巻き込まれてしまった。

 歩道を人々がパンケーキのように膨れて歩き、なかなか隙間が見つからない。

 とにかく自分は早く帰りたいのだ、いや、帰らねばいけない理由があるんだ。

 ここでかなりの時間のロスをしたものの、何とか新宿南口が見えてきた。
 すると街頭ビジョンには、「マグニチュード8.8の、日本最大級のもの」 だったことを、自分はここで知ったのだった。

 周囲の帰宅難民も 「信じられない…」 「この世の終わりのよう」 と、ただただ狼狽していた。


【19:03 新宿口】

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電車運行の復旧のメドは全く立たず。
既に2、3社ほど、マスコミが待機。

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 「新宿南口」 に着いたのは、19時03分だった。
 新宿御苑からさほど離れていなかったものの、人混みに阻まれ、なかなか走ることが出来なかった。

 駅前は予想通りというべきか、群集とマスコミの渦と化していた。


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新宿西口方面の交差点。
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 家に帰るには、ここ新宿南口から 「初台」 方面に向かわねばならなかったが、とにかく人が多く、新宿西口方面の交差点あたりは、人とクルマしか見えなかった。

 ここを通過するだけで5分以上かかり、新宿駅前を抜けてからも人混みに悩まされた。

 人混みのほとんどが帰宅難民ということで、進む方向が同じなのが唯一の救いだったが、もはやこの大通り “甲州街道” を走るのは限界があった。


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初台手前で右折。
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 しかし、もう少し頑張れば、とっておきの抜け道がある。
 自分は 「八艘飛び」 を繰り返しながら、何とか 「初台」 近辺まで走っていき、そこから急に右折した。

 右折して100メートル走ったところから、“水道道路” という抜け道があるからだ。


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“水道道路” に到達。
なお、飲食店はどこも満席という皮肉。

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 ほどなくして “水道道路” に到達。
 ここからは、ほぼ一直線で家に帰れる。

 “水道道路” はまさにアタリで、人はさほど歩いていなかった。
 ここぞとばかりに、また気を振り絞って、走り出す。


【19:20 ペラシティ前 (初台) 】

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こういう高層ビルは、上の方が
凄く揺れて、怖いことになる。

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 「初台」 のやや南に位置するオペラシティに到達したのは、19時20分だった。
 やはり抜け道の効果があり、17分で新宿南口から走ってこれた。

 さらに全力で走って、早く家に帰ろう、かつて帰宅部だった誇りを胸に、ベストを尽くすんだ…。

 しかし、ここにきて自分に異変が起きた。
 頻繁に息が切れるようになり、さらに悪いことに、脇腹に鋭い痛みが走り始めた。

 「はあ、はあ、だるい、つらい、苦しい…」 自分はうめき続けながらも、走るのをやめなかった。

 時折、人混みに出くわすと、キレた時のもののけ姫のような形相で、飛び抜けていく。

 しかし、その愚かしいヤセ我慢もいよいよ限界が来て、ついに動けなくなった。
 もう汗だくで、しかも花粉を大量吸引したことで、鼻水まみれでもある。

 「自分はどうして120%の力が出せないのか!」 悔しくてしょうがなかった。

 いやそれより、自分は今朝、どうしてあんなミスを犯してしまったのか、それがなければ、こんなになってまで走って帰ることもなかった。

 頭がクラクラするし、走るのはおろか、もう歩くのもツラかった。

 しかし、そんな時だった。
 自分が “ある事” を思い出したのは……!


【19:38 10号通り商店街前 (笹塚) 】

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この辺まで来ると、人もまばらに。
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 19時38分に、「笹塚」 の南にある10号通り商店街前に到達。
 そこには笑顔で走る自分の姿が。

 いや別に、“笑顔” というのは比喩などではなく、実際に笑顔で走っていたのだ。

 ついにおかしくなったのか!?
 その姿に、他の帰宅難民が振り返っては、ドン引きしていく。

 もちろんおかしくなってなんか、ない。
 実は作り笑顔でもいいから、笑ってみると、人間の運動能力のリミッターがわずかに外れ、普段より早く走れたりするのだ。

 このメカニズムはスポーツ科学で証明されていて、それをTVで見たのを思い出したのである!

 またありがたいことに、脇腹の痛みも治まっていて、順調に走れるようになったのだ。


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マンションだろうか、
一部が崩れて、立ち入り禁止に!

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 しかし今回は未曾有の大地震である、最後に関門が待っていた。

 歩道の横のマンションと思われる建物が、一部に壁崩れが起きて、歩道に破片が落下、警察によって立ち入り禁止にされていたのだ。

 しょうがないので、車道に出てここを抜けた。


【19:43 朝日生命田橋ビル前 (代田橋) 】

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これを見ると、ウチはもうすぐと、いつも安心する。
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 19時43分に、「笹塚」 の南にある朝日生命代田橋ビル前まで到達。
 ここまで来ると、「明大前」 にある我が家ももうすぐだ。

 自分は最後の力を振り絞って、撮影以外では、ただひたすらに走った。


【19:55 我が (明大前) 】

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近所にあるスーパー。
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 そしてついに我が家に到着!
 距離は10キロ、所要時間は “1時間45分” だった。

 そしてマンションの外見はいつもどおりで、すぐにドアを開けるとガスの元栓を閉めた。

 さて、自分が 「飯田橋」 から我が家までの10キロを、なぜ死にもの狂いで走ったかという理由だが、実はこの 「ガスの元栓を閉め忘れ」 だったりする。

 いや、正確には “ガスの元栓を閉める習慣がなかった” というべきだ。

 午後2時台に起きた今回の 「東日本巨大地震」 の後も、大きな余震が何度も起きていた。

 もし本震でガスから火が出なかったとしても、その後の余震で起きないとは限らない。
 いや、本震で崩れなかった家が、余震で崩れた例はいくらでもある。

 そう思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。
 早く家のガスの元栓を閉めないと…仕事が終わるまで、ただそれだけが気になってしょうがなかった。

 そして結果として、終業後に死ぬ気で都内を疾走するというはめになった。

 「たかがガスの元栓」 というのは、まさに平常時の話だったことを、今回の地震で思い知らされる結果となったのだった。


【補足:我が家の被状況】

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蛍光灯 (傘つきで予備のもの) や、
トースターが落下。
トースターは完全に壊れ、廃棄することに。

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横積みしていたCDや小物類は、
簡単に滑り落ちた。 PCモニターは
すんでの所で踏みとどまった。

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一番酷かったのは、コレ。
台所のシンク下のドアが
割れてしまった。

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 とまあ、軽微ながらも被害が出た。
 自分は今日中に、防災用品の “つっかえ棒” を買いに行こうかと思う。

 これは都内を走っていた時に帰宅難民から聞こえてきた話だが、「何だかんだいって、今後確実に起きる東海大地震の予行演習になったよね」 というのがあった。

 まあ本人が無事でいられたから言える言葉なのだろうが、しかし、言い得て妙である。

 これを機に、ガスの元栓を気にして、防災用品を買おうと思う人が確実に増えるだろうから。

 というか、この期に及んでは、そうしたほうがいい。
 でないと、ガスの元栓1つで10キロを疾走する目に遭うなんてこともあるかも知れない。

東京・下北沢にマリナーズ超大物外野手が? 駅前騒然

2010年10月11日の日記です。

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10日・夕方の下北沢南口駅前は物々しい雰囲気に…!
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 昨日は夕方に作業を中断、コーヒー豆を買いに下北沢に行くと、駅前は騒然としていた。

 先日の参院選で みんなの党の党首が駅前演説をした時 …いや、それ以上の人だかりに、ただならぬことが起きていることだけは、分かった。

 一体、何が起きているというのか!?


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通行人がどんどん溜まって、カメラを向けていく。 その先には 「51」 の背番号…。
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 自分が人込みをすり抜け、近づいて見てみると、多くの群集がある1人の人物を注視しているのが分かった。

 そしてみんな一心にケータイカメラを向け、人物の一挙手一投足を撮り続けているのだ。

 カメラの先には、米・マリナーズの超大物外野手と思しき人物が凛々しく立っていた。
 そして背番号は 「51」 !


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まさかのマリナーズのイチローが登場か!?
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 何と下北沢駅前に 「イチロー」 が登場である!!
 まさかこんな所で会えるとは思ってもみなかったので、みんな興奮するのは無理もない。

 下北沢はこんな感じで路上パフォーマンスが盛んで、週末ともなると駅前か、本多劇場手前・京王線の橋の下あたりで何かしら行われるのだが、しかしこの 「イチロー」 には参った!

 げッ、本物…いやいやこんなところにいるはずでは、と一瞬戸惑ってしまうレベルなのだ。


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足元にはCMをしている “ユンケル黄帝液” も…芸が細かい!
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 しかも足元には、イチローのスポンサー企業商品 “ユンケル黄帝液” まで置かれ、その徹底ぶりには脱帽した。

 「イチロー」 は、群集の絶え間ないケータイ撮影にも一切動じることなしに、「ウォーミングアップ → 構え → 素振り」 の一連の動きを披露し続ける。

 これがまた本物そっくりで、1つの型が決まるごとに群集から絶え間ない歓声と、うなり声にも近いどよめきが起きていた。


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ついに本場のアメリカ人 (?) までカメラを向ける始末で、
7メートル先で同じくパフォーマンスしていた路上アーティストも、もはやなす術なし。
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 そしてついにはアメリカ人っぽい外人まで、本場で見ればいいものを、「イチロー」 にカメラのシャッターを切り始め、同じ場所でパフォーマンスしていた路上アーティストも、コレには敗北宣言をするしかなかったようだ。

 自分がしばらく観察している後ろで、人が代わるがわるに感嘆の声を上げていく。
 少し紹介しよう。


 「え? 本物!?」 (30歳代・男性)

 「似てるね…」 (25歳前後・女性)

 「マジ受ける、ヤバい…!」 (20歳前後・ギャル男)

 「10枚も撮ったべ、これ面白過ぎ!」 (20歳くらい・男性)

 「渋い顔がホントにそっくり」 (20代・働く女性)

 「石川遼もやって欲しい」 (男子高校生)

 「イチローがこんな所にいるわけがないじゃない…あ、でも、新庄ならやりそうじゃない?」 (初老の女性)



 見事なまでに賞賛の嵐!
 映画のヤラセCMかというくらい、観客大絶賛な感じだ。

 さらに耳を傾けてみると、こんな感じだった。


 「横顔がヤバい!! 横顔撮ろ!」 (25歳前後・女性)

 「あと、しゃがんだところ…だよね」 (40歳くらい・男性)



 では期待に応えて 「横顔」 や 「しゃがんだ姿」 をどうぞ。


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もうイチローということで良くない?
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 ありえへんほど似てる!!
 ニセモノとは思えぬこの凛々しいお姿!

 もはや 「イチローより似てる!!」 という意味不明な事まで言いたくなる始末だ。

 自分はとにかく夢中でシャッターを切り、100枚以上撮っていた。


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最後に軽くファンに目を向けるも長居はせず、颯爽と場を後にする 「イチロー」 。
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 結局、「イチロー」 のパフォーマンスは1時間くらいだったろうか、久々に感動した。
 群集もまた、あまりのクオリティに度肝を抜かれ、笑うか拍手するしかなかったようである。

 そして最後はイチローらしく、観客の問いかけには一切応えず、しかし代わりに自らのスポンサー企業の宣伝活動を少しだけして、クールに去っていったのである。

かつて住んでいた所に行ってみたら、ゲットー化してた

2010年5月23日の日記です。


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 おとといは、家にいるとあまりの暑さで発狂しそうになったので、外に出ることにした。
 ちょいとばかり、大掛かりな散歩をしてみよう。

 さて場所であるが、大事な用事があったのと、どうせ散歩するなら “遠くて思い入れのある場所” がいいということで、かつて自分が住んでいた川崎の家を目指す散歩コースを設定した。

 自分は2003年まで川崎の新百合ヶ丘に家を借りて住んでいて、あれから7年、全く立ち寄っていなかったので、今どうなっているのか…少しドキドキする。

 夕方、新百合ヶ丘に着くと、北口 (さびれた方) に降り立つ。
 駅前はさほど変わっていないのだが、家の方向に歩くと再開発の結果か、驚くほど街が開けていた。


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 自分の住んでいた家は、山の上にあるのだが、再開発で山が切り開かれてしまったため、上りの道が見つからない。
 以前あった上り道は、コンクリートの護岸のような塀で、押し潰され、なくなっていたのだ。

 まずい、どうしよう、家にたどり着けない…そう思っていると、さらに向こう側にキレイ新設された上り階段の坂を発見。

 どうやらここから上るに違いない…山登りを始めることに。


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 しかし、上り始めてからも大変だった。

 自分が引っ越した直後にこの一帯は再開発され、山の木の多くは伐り倒され、焼かれ、以前あった道は消え、森だったところに宅地や新たな道が出来たため、元・住民の自分でも全く地形がわからない。

 トンネルなどなかったし、変に太い道が出来ているし、山の中腹から新百合ヶ丘の駅ビルを見下ろして現在地を確認しようと試みるのだが、勘が狂って上手くいかない。


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 昔はふもとから一直線に、家のある地区まで上がれる道があったのだが、今では地形が変わり、新市街も出来たので、そちら優先の道に変えられていたため、早くも迷い始める。

 夕方とはいえ、気温30℃でさらに山登りという、散歩にしてはハード過ぎる道のり。
 汗が止まらない!

 とりあえず新市街を早く抜けようと直進するも、緑地帯や変な柵に阻まれて、先に進めなくなってしまった。


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 となるといよいよ焦り始め、どうやったら自分の住んでいた “旧市街”(再開発で新市街が出来たので) の家に着くんだ、もしやこの柵を越えれば…と、とある空き地に入って、柵を越えようとしたが高くて失敗。

 何てことだ、と引き返すために空き地の中を歩いていた時、それは起きた。

 地面のくぼみをよく見ていなかった上に、さらに石に蹴つまずいて転倒、尾てい骨を強打してしまったのだ。
 あまりの痛みにまるで立ち上がれない!

 「畜生、畜生!」 と呪詛を吐きつつ何とか頑張るも、立つのに45秒もかかってしまった。

 …それはまさに、不慮の事故だった。

 負傷と屈辱に顔をゆがめながら、U字を描くように歩いて道を引き返し、どうしたものかと考えあぐねていると、右手に新たな上り階段の坂を発見。

 これが旧市街につながっているかもしれない…と思い、ワクワクしながら上る。


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 それはまさに大当たりで、階段を上りきると見覚えのある家々が飛び込んできた。
 7年前の記憶が一気によみがえる!

 左側に懐かしの旧市街があり、右側は昔は豊かな森だったが、無残に伐り開かれ、踏みにじられた結果、今では新市街の家々がしれっと並んでいる。

 そして旧市街をさらに進んで、左手の下り坂のちょっと先のくぼみに、ついに 「自分が以前住んでいた家」 を発見した!

 家は7年前と全く変わっておらず、旧市街ともども、時間が止まったかのようだった。
 それはまるで、わざわざ自分を懐かしませるために魔法をかけているかのようであった。

 さて、なぜ自分が以前ここに家を借りていたかという話を簡単にしておこう。

 当時、自分は正社員だったり、派遣社員 (技術系) でかなり稼いでいたりした時期があって、「せっかくだから一軒家を借りよう」 ということになったのだ。

 ではなぜ一軒家にしたか…それは簡単な理由だった。

 リビングに 「ゲーセンの筐体」 を置きたかったからだ。

 ゲーセン筐体は、店で見ると小さく見えるが、実際買って家に置こうとすると、予想以上の大きさに面食らうことになる。
 今でいうところのPS3やXbox360本体はおろか、テレビを買うのとも事情がまるで違うのだ。

 もし住んでいるところがアパートだったら、100キロもの筐体を置くことで、床が抜ける心配があり、マンションでも、筐体の存外な大きさゆえにドアを通過できない可能性がある。

 自分が一軒家にしたのは、庭の大きな引き戸から1階リビングに筐体を担ぎ込めばいいではないか…という、至極シンプルで大雑把な理由からであった。


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 …それにしてもどうしたことだろう、この旧市街は時間が停滞しているだけでなく、どうも “悲しみを含んだ重々しい空気” が流れているように感じた。

 ふと旧市街から坂の上を見上げると、新市街の家が見え、上流階級の子供たちが能天気に…いや、のびのびと遊んでいるではないか。

 何か対照的な光景でうらやましいな…ちょっと “向こう” に行ってみようか、と坂を上ってみた。

 そして絶望した。

 新市街の家々には 「柵」 が張り巡らせてあって、旧市街の人間がおいそれと入り込めないようになっているのである。

 そんな大袈裟な、それぞれの家の塀のことでしょ…と思われるかもしれないが、それは文字通り、門外漢の意見である。


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 柵は新市街のそれぞれ個々の家に張られているのではなく、“新市街全体を覆っている” のである。

 それは 「旧市民進入防止柵」 というべきものだった。
 まるでユダヤのゲットーか、南アのアパルトヘイト政策の産物を彷彿とさせる光景だった。

 旧市民とは決して交わってはいけない…固い拒絶の防壁なのである!
 そして自分の旧市民としての誇りが、音を立てて崩れていくのが分かった。

 7年という歳月は、かくも悲惨な結末を自分に見せるのか…そう思うと涙が出そうになった。


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 それは陵辱された故郷を見るかのようで、身も心もすさみきる5120歩のお散歩だった。

たまには横浜で豪遊

2010年2月15日の日記です。

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               みなとみらい線 「横浜中華街」 駅周辺は、こんな感じ。

 元町・中華街駅を降りると、いきなりプンと海の香りが。
 おととい土曜日は夕方から商談のため、横浜中華街まで、ほぼ10年ぶりに行ったのだ。

 マリンタワーを下から見上げたり、ウィンドーショッピングしたりして時間を潰し、先方の社長と合流。
 とりあえず中華料理屋で話をしようということで、案内してもらう。

 久々の中華街は全く新しく見え、どこの中華料理屋に入るんだか…とワクワクしながらついて歩いていると、何と中華街を抜けてしまった。

 そのまま橋を渡って、元町に入る。
 ここにワンランク上の中華料理屋があるのだという。

 あえて中華街で食べないところが、何とも斬新である!


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中華料理屋だが、随所に和と洋を取り入れる大胆さ。
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 店は 「エピセ」 といい、店内は中華料理屋には全く見えない。
 ちなみに席はセレブだらけ。 服装を見れば分かる。

 まずはビールで乾杯して、商談に入る。
 意外とポンポンといいアイデアが出てきて、一気に話が進む。

 実現すれば、ゲーム界においてかなり画期的なものなので、何とか成功させたい。
 また、他の案件も出たので、複合的にやっていければ…と思う。

 商談は上手くまとまり、その後は普通にな感じで “飲み” となる。
 しかしこの店、外見だけでなく出てくる料理も、中華料理屋のものに見えない。

 例えば、「フランス産合鴨と茄子の香港みぞれポンズソース」 は、フォアグラと鴨肉と茄子と下仁田ネギの一品で、見た目も中身もフレンチと和食だ。
 これのどこが中華なのかと突っ込もうと思ったが、食べてみるとあまりの見事さに、そういう気も失せた。

 フォアグラはとてもよくしまっていて、味も淡白、変にまとわり付くこともなく、東京の残雪のようにすぐ溶けていく。

 そして鴨肉は、その食感がまさに牛レアステーキの如しで、これが鴨なのか…と軽く慌てたほどだ。
 もちろん鴨の香りはするわけなのだが、ただそれは本当に薄く香る程度。
 これは裏を返せば、鴨でもここまでやれるんだという “静かなる自信” すら感じられる。

 さらに下仁田ネギは、細切りにされて鴨肉の下に隠れているのだが、シャキシャキしてみずみずしく、そこからうっすらとした “甘味” を感じ取ることができ、ネギの苦味などは全くない。

 まるで一皿で “謙譲の美徳” を表現したかのようなのだ。

 「ハマグリと竹の子の葱油がけ」 も、京美人のような驚くべき白さの竹の子が出てきて、素材の味自体も徹底的に薄い。

 これにはちゃんと意味があって、元々仄かであるネギ油の香ばしさが、素材の味に邪魔されず上手く絡むように計算されてあるのだ。

 またこの薄味に反比例するかのごとく、繊維のシャキシャキ感はシッカリしていて、またそれでいて、その一本一本の繊維自体が市販の竹の子よりもはるかに細いので、その食感は文字通り繊細なシャキシャキ感なのだ。

 …これはおそらく、一般家庭ではお目にかかれないと思う。

 「エビチリ」 は、凄いボリュームの有頭大海老が堂々と乗っかっていて、見た目からして一般的なエビチリとは違う。
 そして食感はまさにプリプリとして、噛んだ途端、幸せがにじみ出てくるかのようだ。

 またチリソースが非常にアッサリ目なので、エビ本来の味わいが楽しめ、エビチリに大きなエビとアッサリのソースを用いた戦略は、まさに成功といわざるを得ない。
 当然ながら、頭部のミソまでいただいた。

 またちょっとした箸休めに、「フカヒレスープ」 も頼んだ。

 このフカヒレは市販のものよりずっと太く、歯ごたえだけでも純粋に楽しめる。
 さらに濃厚鶏ガラスープにはかなりのトロみがついていて、フカヒレをゆっくり楽しめるように一工夫されてある。


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左:イタリアワイン。その特徴は…? 右:高級店の 「青菜炒め」 はハンパない!
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 さて、この辺で7千円くらいのイタリアワインを注文。
 一口飲むと、喉元をスッと通り抜けていく感じで、一瞬 「エッこれだけ?」 と思うのだが、数秒後にまるで追いかけてくるかのように、芳醇な香りが湧き上がってくる。

 ただ香りに関しては、先日の青山で飲んだほどの濃厚さではないが、この “時間差の味わい” には、大変に面白いものがある。

 また同時に出てきた 「青菜あっさり炒め」 は、青菜にかかった塩だれが関西人も驚くほどの薄味で、全く辛味を感じない。
 これはもちろん、そうすることによって “青菜本来の甘味” を極限まで引き出しているワケだ。

 “素材がいいからこそ許される挑戦” なのだ。


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左:これがこの店のチャーハン。 右:もはや中華屋とは思えない!
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 次に 「チャーハン」 を頼む。
 “チャーハンの出来で、中華屋の実力が分かる” とはよくいわれることだが、いまさら実力を試す必要もなく、ただの酔狂で頼んだということだ。

 すると、こちらの予想をはるかに超えたチャーハンが出てきた。
 あっさり薄味のパラパラ飯に、ほのかに魚醤を効かせてきたのはいいにせよ、さらにそこに胡椒がかかったレタスを乗せてきて、小粋な食感を実現している。

 …全く頭が下がる。

 さてここで社長が、今まで飲んだことないワイン飲みたいということなので、当然お付き合いを。
 今度はフランスのブルゴーニュで、先程のとは違い、一口で強烈な香りに包まれた。
 イタリアは時間差でほのかな香り、ブルゴーニュはいきなり強い香りに包まれる。

 店の人に聞くと、元来ブルゴーニュはイタリアワインと比べ、酸味と香りが強いのだそうだ。
 あとはそれを維持しながら、えずかない程度にまとめることが出来るかが、良質のワインか否かということのようだ。

 ともあれ青山のワインの謎もここで解けた。
 また社長はブルゴーニュ好み、自分も同じである。

 ということで、お蔭様で家にある298円のワインが飲めなくなってしまった。(人にあげたい)


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左:この黒人歌手は本当にプロ。 右:とりあえず乱入した!
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 さらに場所を移し、二軒目のバー 「コンズ・コーナー」 に入り、社長のお友達と合流。
 貴族の館にでもいるかのような洒落た店内、ところどころにアンティーク家具が置かれていて、落ち着く。

 こういうところでは、ソーセージやマグロのカルパッチョをつつきながら黒ビールを飲んでいるだけでも十分なのだが、何とまさかの黒人歌手のナマ歌までついてくるという。

 客が歌って欲しい曲をリクエストして、黒人歌手が順番に歌ってくれるシステムで、自分はエリッククラブトンを要望したが、結局一番感動的だったのが 「スリラー」 だった。
 声量、アクション…あまりにも本物に近い! これは日本人だと多分無理な領域だ。

 これには自分も拍手喝采した。
 そして 「Excellent! You are my favorite!!」 と最大の賛辞を送ったのだ。


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気取ることなく、案外普通の会話をしている。
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 もう0時を回っていたと思うが、三軒目はキャバクラに。
 新宿歌舞伎町の店ほどキャバ譲の入れ替わりが激しくないので、ゆっくり話せたのが良かったところ。

 また普通に肩を組めるなど、サービスもいい。
 普通に数時間ほど和気藹々と話しこんでいた。

 ただ新宿同様、ちょっと気になることを指摘されたので、機会を見て他の人にも聞いてみよう。


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これがお店のテーブル。 織田信長は小姓の森蘭丸とデキていた。
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 四軒目は先の店のキャバ譲と同伴で、アミューズメントバー 「ラオウ」(RAOH) に。
 この時点でもう4時なのだが、社長が相当強いようで、みんな元気だ。

 中に入ると “男の子達” がお出迎え。
 「ここってゲイバー?」 と尋ねてみると、違います、という。

 だが店のテーブルを見ると、ゲイ著名人の写真がタイル状に敷き詰められ、しかも “偉人” と絶賛されてある。

 いやこれは困ったなと思い、それから6分おきに 「ここってゲイバーだよね?」 と突っ込むのだが、やはり違うとのこと。
 …どう違うのだろうか?

 まあそんな感じで意見の齟齬を残しつつも、盛り上がる。
 無理矢理でも上げ上げにする感がまさにゲイバー…いやアミューズメントバー、さすがだ。

 定番の 「山手線ゲーム」 などやっていると、突然 “ショータイム” が始まり、大音量で音楽が流れはじめる。
 すると回りにいた男の子が楽屋に引っ込み、程なくしてステージ上に現れる。

 とりあえず自分は、40分ほどビデオカメラを回していたのだが、その凄いのなんの…途中、自分がステージ上でパラパラを踊るとか、そんな些細なことではなくて、とてもここでは紹介できるレベルでないのだ。

 …まあどうしても見たいという方は、ウチに遊びに来たらコソッと見せなくもないが。
 (※自分がステージにいる間は、キャバ譲の方が撮っています)

 ショータイムの後は、“たくと” 君という子と話し込んでいた。
 プライベートではバンドをやっているそうで、仕事と両立させて頑張っているとのことで、自分も僭越ながら売り込みとはどうやってするものか…について話した。

 自分らが番組の企画を通した時のかなり強引な手法などをベースに話し、一体バンドは誰のためにあるのかなど、本質的な話をしたり、番組公開収録場ともなった川崎のヒーローズベースで歌ってみたらと勧めたり、1時間くらい熱弁を振るったワケだ。

 

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みなとみらい線 「馬車道」 駅。 東急東横線とそのままつながっている。
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 「ラオウ」 を出ると、もはや6時半、立派な日曜の朝だ!
 …というか、またもやこんな時間まで遊んでしまった。

 とりあえず、みなとみらい線 「馬車道」 駅までみんなで歩く。
 帰るならJRを避けろという社長の友達のアドバイスのおかげで、ほぼドンピシャで東急東横線に乗れ、無事に帰ることができた。


右手のみでゲームは出来るのか?

2009年12月27日の日記です。

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“片手でゲーム” は至難の業だ。

                     

 昨日は骨折した部分がズキズキ痛んで、なかなか寝れなかった。
 しかし、起きてからは痛みも取れていて、非常に楽になった。

 骨折すると重度の場合は高熱が出るそうで、そうならなかっただけ、まだ救いだったかも知れない。

 さて、ずっと家にいるのも気分が塞いでくるので、買い出しと散歩をかねて、近所の永福町商店街まで出てくる。

 野菜やカルシウムになりそうな食材を買い込むと、商店街の最果てにある中古ソフト屋まで歩いていく。
 骨折した左腕を傷めることになるから、ゲームをすることは医師から止められている。だったらせめてゲームソフトを物色しようという、悲しき魂胆だ。

 この店はファミコンから最近のソフトまで扱っていて、秋葉よりも安く、たまに見に来る店だ。
 本日見つけたのは 『暴れん坊天狗』(FC) 、裸ソフトで2,800円は結構安いか!?

 …と、こういうことをやっていると、ますますゲームがしたくなってきた!
 困ったものだ、これは余計な寄り道だったかも知れない。

 こうなったらしょうがない、“無事な右手のみ” で無理矢理ゲームをしてやろうか。


                      ◆        ◆        ◆


 …ということで、帰宅すると半ば強行的にゲームを開始。
 一体右手だけで、満足にゲームが出来るのだろうか?

 まず気晴らしにシューティングでも。
 だがやってみてすぐ、無理なことがわかった。
 右手の指だけで自機移動と攻撃を兼ねるのは、とても出来ない!

 まあ中には 「自機を1機ずつ両手でプレイできる人」(ウチの番組の第1回を参照) も、いるにはいるわけだが、やはり例外ととらえるべきだろう。

 早々に断念し、次にアクションゲームをやってみたが、結局同じ理由でダメだった。
 “キャラをこまめに動かす系” は無理だということが分かったので、“コマンド入力” で進められるものにしよう。
 となると真っ先に浮かぶのはRPGであるが、結構 「街移動」 などでは十字キーとボタンを繁雑に併用するし、アクション要素のあるRPGもあることから、ちょっと厳しい。


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シミュレーションゲームなら、何とかなるか? プレイ開始


  となると、「シミュレーションゲーム」 あたりが、右手だけでも無難にやれるのでは、という結論に落ち着いた。
  …では早速やってみよう。


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どちらが使いやすいか?


 意外といけそうな感じだが、コントローラー慣れするのに少し時間がかかるようだ。

 最初はパッドを真上から持って、親指を軸にして、十字キーとボタンを効率よく押す方法を採ったが、すぐに手が痛くなってきたので、右から持って、十字キーには親指を軽くジャンプさせる方法に変更。

 すると結構普通にやれるもので、いい感じだ。

 ちなみにジョイスティックも試したが、レバーとボタンの間隔が広いのが厳しかった。


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慣れると意外と楽勝でした。


 で、数時間後。

 若干のカーソルのズレなどがあるものの、右手だけで楽しく遊べる!
 いや、ゲームをあきらめなくて良かった。

 やはり何といっても “不撓不屈” の精神である!
 “撓骨” を骨折しておいてこういうのも何だが…。


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